こんにちは、もとじろうです!
前回のインパールからの移動編の続きです。
今回、実際にマラムクーレン村を訪れます。
マラムクーレン村の朝
ホテルのチェックアウトは12時までだったので、朝のうちに村を訪れ、
一旦またホテルに戻ったのち、ナガランドの州都コヒマ Kohima へ行く予定でした。
早起きは苦手ですが、村のために朝7時頃から準備を始めます。
宿の奥さんは、外で洗濯物を干していたので挨拶して朝食を食べたいと伝えました。
奥さんは慌てた様子で、旦那さんを大声で呼びます。
料理を作ってくれるのは旦那さんでした。
食堂の窓からの景色。幸運にも空は晴れ渡っていました。
山岳の朝らしく、谷底にはまだ霧が溜まっています。
壁の深い青が綺麗。
チャパティとオムレットの朝食。
シンプルだけど、これがおいしい。
泊り客は他にもいたようですが、この時間はひとりで静かでした。
さて、そろそろ村へ向かいます。
12時までに戻ってくると説明し、荷物は部屋にそのまま置かせてもらいました。
若旦那に教えてもらった通り、2号線を北に20分ほど歩きます。
そこからタクシーを使って行けるとのことでした。
ちょうど子供たちの通学の時間。
写真の中央あたり、車の集まっている場所がタクシー乗り場です。
このあたり。
そこにいる男に、マラムクーレン村に行きたいと伝えます。
運転手らが集まってきて相談が始まり、その中のリーダー格の男が「俺が連れて行く」と言いました。僕は乗り合いタクシーで行ける可能性を考えましたが、それは無さそうでした。
また、旅行客が村へ行くには地元のガイドを付けなければいけないらしく、それは運転手さんが務めてくれるとのことでした。
それって運転手が勝手なこと言ってるんじゃないの? と思われるかもしれませんが、実際に行ってみて、運転手と一緒じゃなければ完全に部外者だったなと思います。
タクシーは細い坂道を走って行きます。高いところへ登るので景色がいいです。
途中、おばあちゃんが路上に穀物を天日干しにしていたのですが、運転手は構わず踏んで行きました。
そして、
着きました。マラムクーレン村です!
どうでしょう、
個性的でトラディショナルな家。背後の斜面にも連なって、その上をなだらかな稜線が走る。世界にはこんな場所があるんだ!という純粋な衝撃がありました。
それぞれの棟が、思い思いの方向を向いているのもいいですね。
運転手はチーフの家だと言っていました。族長ということですね。
さすがの風格があります。
ピラミッドのような形を成しているのが特徴的ですね。
破風板の、サメの歯のような模様がまた強烈です。
ナガランド州や、周辺地域に点在するこういった家は、もとは茅葺屋根だったようですが、現在はトタンが主流になっています。
前回の記事でも書きましたが、ナガランド州や周辺地域に住むナーガ族は、いくつもの部族に分かれ、部族間の争いで敵の首を狩っていました。
現在では失われた風習ですが、写真にある家のレリーフなど首狩りの痕跡が今でも残っています。
よく見ると首が足元に置かれているのがわかると思います。
敵の首を狩ることは、当時の力の象徴だったようです。
牛の頭骨が飾られています。魔除けですかね。
マラムクーレン村の他にも、ナーガ族の家ではこのように軒先に頭骨が飾られていることがよくあります。
マグカップそこに置くんだ 笑
中にも入らせてもらいました。
囲炉裏ですね。脇の板に座って、煮炊きしたものを食べるのだと思います。
食品棚ですかね。それともここで調理するのかもしれません。
年季が入っているのがよくわかります。
そして生々しいのが、この槍の数々。
闘いに使われた武器ですね。
首狩りは手斧か何か使ったんじゃないの? と思われるかもしれませんが、この槍で首も狩っていたそうです。
恐ろしいものですが、トラディショナルな装飾に力強さを感じます。
こうやってよく見える場所に飾っているのも、彼らの誇り高さを表しているように思います。
壺がたくさん天井に括り付けられていました。
小道具があると、より生活感を感じますね。
この中は電灯も無く、薄暗いです。
ちなみに上に載せた外観写真にある、右手の建物が現在の住居のようですね。
村の中を移動していきます。
族長の家は暗かったですが、このように村自体には電気が通ってます。また、誤解の無いように書いておきますが、村の人々は普通の服を着て、スマホも使いこなしています。
園児たちのピクニックの時間でした。犬もいて微笑ましいですね。
ここには立石があります。平たい石も並べられています。
マラムクーレン村よりもさらに奥地の、ウィロング・カレン村 Willong Khullen にはここより多くの石があるようです。
こういった石を飛んで渡る競技として使われた説があるみたいですが、今もはっきりとした用途は解明していないようです。
見晴らしも良いです。隣の山の山上まで集落が続いているのがわかります。
ナガランド州やマラムクーレン村を含む周辺地域は、山上に町や村が築かれていることがほとんどです。僕はなぜわざわざ山上に築くのか疑問でした。頂上付近に教会があることが多いので、宗教的な理由かと思いましたが、実際は敵に容易に攻め込まれないためだったようです。ナーガ族にキリスト教が持ち込まれたのは70年代のことなので、集落ができるよりずっと後のことでした。
もともと山の多いこのあたりの地形が、彼らの特徴的な文化の形成を手助けしたように思います。
族長の家。運転手は村には3人の族長がいると説明しました。
なぜ3人なのか、村の中でもいくつかに分かれているのかちょっとわかりませんでした。
家によって装飾が違ってきます。それぞれの個性がありますね。
それにしても「2009」って…? 2009年に作り替えたのかな。ペンキを塗り替えた年でしょうか。
竹細工の大きな壺のような籠のような。ここには米を蓄えるようです。
この他にもナーガ族の人々は、竹で実にいろいろなものを作ります。
村によっては、家の外壁や床も編んだ竹で作られます。
まな板だと思います。下に食材を入れていたのかな? 開けてませんが。
運転手が米を突くジェスチャーを見せてくれました。
もちろん武器もあります。
先ほどの家とはまた違う感じがありますね。
三軒目の族長の家。こちらは生活感があります。
一見かわいらしくも思えますが、ひと際生首が多いですね。
落書きは誰かのイタズラでしょうか。
中の様子です。
吊り下がっている円錐の道具はちょっと用途がわかりませんでした。
付近にあった立石。
かなり薄くなっていますが、何かの絵が描かれていたのがわかります。
緑に塗られた家もあります。壁の模様もまた他とは違いますね。
仲良く並ぶ三軒。手前には畑。
こういった家が当たり前のように建っているのは面白いな、と改めて感じます。
村の教会。
和洋折衷ではないですが、欧米とナーガの文化が融合していますね。
屋根上の十字架が切れてしまいました。
上にも書きましたが、 現在ナーガ族のほとんどはキリスト教徒です。
家の中の日用品にもキリスト教徒であることが、わかるものがあったりしました。
村から見える景色。
山を割るように川が走ります。毎日このような景色が見られるのはいいですね。
村の青年と話す機会がありました。
11月でしたが、近辺には所どころに桜が咲いていました。日本のソメイヨシノのようではありませんが、遠くからでもよくわかるピンク色が映えます。彼は「日本では桜の祭りをやるんだろ?」と聞きました。僕は当時、日本で話題になっていた「桜を見る会」かと思ってドキッとしましたが、そんなわけもなく、「そうだよ」と答えました。
会話のほとんどは忘れてしましましたが、村の青年との交流を持てたことはうれしく思います。
いかがでしたでしょうか。
まだまだ写真はあるのですが、これくらいにしておきます。
あんまり載せすぎても、行くときの楽しみが減ると思うので。
気になった方はぜひ、実際に訪れてみてください。
キリスト教に改宗し、彼らの生活も年々変わっているだろうとは思いますが、昔ながらの家々が残され、彼らの持つ独自の文化の誇りを感じます。
次回は、ナガランド州都コヒマ Kohima へ向かいます!