もとじろう旅ブログ

海外バックパック旅や宮城周辺スポットについて書いてます

【権現森 313m】~仙台の低山歩き~

もとじろうです。

 

今回は権現森(ごんげんもり:313m)に登って来ました。

森と付いていますが、仙台の愛子、南吉成地域に挟まれるようにして立つ低山です。

山歩きのトレーニングにもいいと思います。

(登山日 2022/11/28)

 

 

南峰~松尾神社

登山口はいくつかありますが、今回は南西の落合地域から入ります。

仙山線陸前落合駅から見る権現森。

構内からは南の蕃山も見えていました。

 

駅からは歩いて10分ほどで行けます。北口を出て大沢橋を渡り、右へ折れていきます。

近くにはスーパーもありました。

 

もう一度、小さい橋を渡ります。

この道は歩道が無いのに、車通りは多かったです。

 

途中にあった石碑。おそらく『湯殿山』と彫られています。

最近、梵字手帳を買ったのですが、初めの文字は大日如来を表すものでしょうか。

 

少し不安になって来たころ、登山口に着きました。

車は写真のように一台までですね。

 

ここから山頂を経由して北口へ抜け、またここまで戻ってきます。

一本南の登山道にも興味があったのですが、通行止めなんですね。かなり細い道のようです。

 

13:00 登山靴に履き替え、山行を開始します。

さっそく少し迷ったのですが、登山道は真ん中の細い道です。

右に曲がっている方ではないのでご注意。

 

初めは笹薮が続きます。このエリアは少し道がわかりづらいです。

アブに一匹遭遇しました。いるんですね、まだ。

 

道がわかりやすくなりました。

木々の葉はすっかり落葉済み。

 

小さいピークの脇を抜けると、植生が変わってきました。

これまでは赤松が多かったですが、このあたりは杉が多いよう。

 

モミの木広場に到着。

写真左はアンテナが立つだけの小ピークでした。右の方へ進みます。

 

このあたりは道を見誤りやすいかもしれません。写真真ん中を進みます。

 

登りではあまり思わなかったのですが、結構急な坂だったよう。

 

葉が落ちてすっきりとしていて良いですね。奥に澄んだ青空が見えて冬間際という感じがします。

 

木々の合間に北峰が見えます。

権現森は主に南峰(293m)北峰(313m)があり、まずは南峰を目指します。

 

木のベンチがある休憩所。あまり止まらず進みます。

 

奥に薄っすら南峰の様子が見えてます。

 

まっすぐ登山道を進んで行きます。

標識の裏の暗くなっているところにも道があるのですが、細くわかりずらい上、崖もあるので危ないです。帰りは間違ってこの道を通ったのですが、南峰を経由しません。

 

さて、南峰の手前まで来ました。右の砂利道を登ります。

北峰は奥の道を行きます。

 

まずは電波塔。

 

13:50 南峰到着。

 

山頂に建つ松尾神社

想像以上に立派なもので驚きました。

国分氏の家臣郷六大膳盛元によってこの地域の守護神として祀られた神社であると伝えられて来ました。

郷六大膳盛元は権現森の南にかつてあった郷六城の城主ですね。

先に郷六城跡は訪れていますが、まさかここでもその名にお目にかかれるとは。

 

狛犬と山神碑。

 

扁額。

 

もとは松尾権現社と呼ばれたようです。それで『権現森』とも。

 

ちなみに山頂の景色はあんまりよく見えません。

夏は特に厳しいかもしれませんね。

 

北峰~活牛寺

さて、今度は北峰を目指します。

先ほどの分かれ道へ降り、活牛寺方面へ向かいます。

遠くに見える吉成地域。

 

反対側。泉ヶ岳などが見えます。

 

そして目前に見える北峰。

住宅地に囲まれたような土地ですが、これを見るとれっきとした山ですね。

いつもそうですが、今からあの山頂まで行くと思うとワクワクします。

 

南峰から北峰へは、初めこそくだりますが、基本は尾根伝いなので真っすぐな道が多いです。

 

分かれ道。北峰へはこのまま真っすぐ。

左は向田地域へ出る登山道。

 

何かいる……? と思ったら石でした。

権現森は日中であれば、あまり獣の心配はないかなと思います。

 

再び分かれ道。ピンクのリボンが左を行けと言っていますが、右(まっすぐ)で合ってました。左はどこへ通じている……?

 

やがて開けたところへ。山頂はもう目前。

 

逆光ですが、ここからの景色が一番よかったです。

 

筒を覗くとどれがどの山かわかって面白い。

左にせり出しているのが蛇台蕃山

 

階段を上って山頂へ。

 

14:15 着。南峰より少し高い。

 

南峰が薄っすら見えています。

やはり景色は階段下の方がいいですね。

 

東屋で昼休憩をとり、活牛寺へ向かいます。

時間が少し不安だったのですが、北峰から活牛寺までは割とすぐでした。10分ほどで行けると思います。

 

ただ、この間の道は山陰に入り急に薄暗くなります。

 

勢いよく進んでいたら枯れ沢が。気づかず転ぶところでした。

 

14:30 活牛寺着。

 

狸が祀られています。

なんでも松尾神社のご祭神が狸に姿を変え、仏法を守り、人々を助けたそう。

別名の『松尾権現社』の名の由来はこの逸話にあるのでしょうか。

 

個人的には気になる点が出てきたのですが、仏さまが狸に姿を変えるので『権現森』という理解で良さそうです。

お寺と北峰。

 

すでに日が傾いているのですが、スタート地点まで戻ります。

活牛寺からの登山口。すぐに左右の分かれ道があったのですが、左へ登っていきます。

 

再び北峰山頂。ここまで来れば明るくなります。

 

日に照るススキが綺麗。

 

登山道に伸びる木の影がいい感じ。

 

十字路に出ました。

「こんなとこ通ったかな…」と迷ったのですが、正解はまっすぐだったようです。

僕は南峰へ登る直前の分かれ道と勘違いして右を選んだのですが、行きと違う道でした。

 

踏み込んですぐに「違うっぽいな」と思ったのですが、なんとかなるだろうと進んでみることに。(危険な考えではありますが)

 

見覚えのない崖。

 

振り返った様子。

 

進んだ先の分かれ道。

わかりづらいですが、左手に道があります。

右はそもそも登山道ではないことを示す丸太が置かれています。

 

ここを進んで行くと無事、先ほどの葛岡線登山道を示す標識のところに出ました。

 

モミの木広場。木の赤いスプレーを頼りに進みます。

 

道がわかりづらいのもまた、おもしろい。

 

15:45 戻って来ました。

 

距離 5.9km

合計時間 2:45h でした。

 

活牛寺から同じ道を戻るのはあまり面白くないなーと思ったのですが、やはり行きと帰りでは見え方が異なるので楽しめました。(違う道を通ったし)

 

すぐ近くの蕃山についてはこちら

松尾神社を勧請した郷六盛元の城跡についてはこちら

【栗駒山 1626m】『二百名山』秋の山行

もとじろうです!

 

山登り第2弾です。

紅葉のシーズンに人気の栗駒山(1626m)へ行ってきました。

10月末ではさすがにタイミングが遅かったようですが、森林限界を越えた景色がとても良く、楽しい山行になりました。

(登山日 2022/10/31)

 

今回はいわかがみ平駐車場からスタート。

栗駒コースで、東栗駒山(1433m)を経て、栗駒山まで登り、

帰りは中央コースで一気に下ります。

合計3~4時間ほどで、宮城側では初心者向きとされる人気のコースです。

 

 

栗駒山・東栗駒山

栗駒山は、宮城・岩手・秋田の3県にまたがる山。

仙台から高速を使って2時間ほどかけて向かいます。

若柳金成ICを降りると見えてくる栗駒山

今からあそこの山頂に立つのかと思うとテンション上がります。

 

9:30 いわかがみ平駐車場(1115m)着。

一度ここよりも下の駐車場に止めてしまい、「誰もいないじゃん!」となっていたのですが、こっちでした。

右に見えているのがトイレ。左の緑の屋根がレストハウス

 

1000m越えてるだけあってすでに景色いい。

 

準備を整え、栗駒コースの入口へ。看板がたくさんあるあたりです。

初級の中央コースはレストハウス前の舗装路をあがっていくとあります。

 

序盤から大きめの石が多く、両手足を使って登ります。

ときどきこういった梯子やロープがありました。

写真は梯子を撮る友人S君。

 

沢に出ます。水が流れるときもあるようですが、この日は枯れていました。

 

水が流れていたらゲイターは必須ですね。僕はまだ持っていないんですが。

 

大きな岩がごろごろと転がっています。

 

ケルン。石を一こ積み上げます。S君うまくね!?(右)

 

ところどころ穴があって水が溜まってます。深いもので2、3mありそうなものも。

落ちないよう注意ですね。

なぜこういった穴ができるのか不思議でした。

 

栗駒山が近づいてきました。

右手方向の東栗駒山から迂回していきます。

このときはまだ、山頂の天気は良かったみたい……。

 

沢を登り切ると眺望がひらけてきます。栗駒山系の山々。

 

こちらが先にめざす栗駒山

森林限界を越えると途端に見晴らしが良くなります。

 

鐘。向こうは栗駒山

 

要塞のような岩。トーチカみたいですね。

 

影になっていますが、東栗駒山栗駒山の谷。

クレーターのような、土が崩れ落ちた跡が見えます。

 

岩手県側の山々。

 

11:10 東栗駒山着。1時間半ほどかけて来ました。

ここから右手の尾根伝いに栗駒山(写真奥)を目指します。

 

……おや!? さんちょうの ようすが……!

 

右手を向けばナウシカのような金色の野が。

青き衣(モンベルのフリース)なら用意があるぜ。

 

このあたりの景色も、もう少し早ければ鮮やかな色合いをしていたみたいです。

 

またたく間にガスに包まれてしまいました。

山頂までしばらく階段が続きます。これがちょっとつらい。

 

周辺はどんどん雲の中へ。

 

12:20 栗駒山着。あたりはすっかりガスの中。

栗駒山で昼休憩をとったので、その間に包まれてしまったかもしれません。

 

駒形根神社 嶽宮

 

30分ほど待ちましたが、晴れないのでやむなく下ります。

今度は中央コースを行きます。

ガスに包まれた山々の景色も幻想的。

 

山頂では何も見えませんでしたが、少し降りるとこういった景色が見えてきます。

遠くの方に光のカーテンが降りて、紅葉の山を鮮やかに照らしています。

 

レイヤーのように重なる山々のシルエットがとても綺麗。

 

部分的に照らされる山の肩。神々しい雰囲気。

 

14:10 駐車場着。

合計4時間半ほどの行程でした。写真を撮りながらなので少しゆっくり目だと思います。

 

帰りはハイルザーム栗駒日帰り温泉に入って来ました。

大人550円。露天風呂あり。透明な湯ですが、すべすべして気持ち良かったです。

登山の後の温泉は最高すぎる。

 

一路仙台へ……というわけでもなく長者原SAでどんぶり飯を食べて帰ります。

S君の運転に感謝感謝。

 

紅葉のピークが過ぎてしまったのが惜しかったですが、尾根や沢、ガレ場など短いコースの中にも様々な表情があってとても楽しい山登りでした。

日本二百名山に数えられるそうですが、人気が出るのも納得の山ですね。

 

ちゃんと計画して紅葉の時季にまた来たいですね。

この日でも駐車場へ向かう山道では鮮やかな紅葉を見ることができました。

 

天気・気温など

事前に調べた予報では、晴れときどき曇り。

山頂の気温は一日を通して2~3℃。日中の風速は3~4m。

ふもとの町は最高15℃くらいだったと思います。

 

駐車場の時点で少し肌寒い風あり。

ただ、登山道序盤は木に囲まれて風がなく、すぐに暑く。シャツでも充分なほど。

尾根に出ると風が吹き始め、アウター必須に。

栗駒山山頂がもっとも寒くなるもフリースの出番は最後までなし。

ただ、万が一に備えての携行は必須という感じでした。

 

今回は下りで膝を痛めてしまったので、対策を考えます…。

ではまた次回~。

【蕃山 355m】~仙台の低山歩き~

もとじろうです!

 

以前にも訪れた蕃山へまた行ってきました。

 

蕃山(ばんざん:355m)は仙台中心部からも気軽に行くことができる低山です。

前回は史跡めぐりでしたが、今回は山歩きを目的として行きました。

3つある主なピーク、蕃山、西風蕃山、蛇台蕃山をそれぞれ回ります。

 

 

 

大梅寺~蕃山

登山口はいくつかありますが、前回同様、ふもとの大梅寺から登ります。

目の前には仙台駅からのバス停もあります。

駐車場は主にこちらの東と北があり、北の方が広そうなのですが、長いルートを歩きたいので東を選びました。

天気のいい土曜日でしたが、先に来ていたのは2台ほど。

 

お寺を介さずに山へ向かう道もありましたが、せっかくなので寄っていきます。

 

大梅寺名物の羅漢像がお出迎え。いい感じに木漏れ日が照っています。

 

仏像の苔むし具合がいいですね。

 

さて、登山口の写真を撮らずに来てしまったのですが、場所は前回の記事をご参照ください。近くにトイレがあります。

 

初めは急な階段が続きますが、10分ほどで最初のピーク小畑山(208m)に到達。付近のお地蔵さんが目印です。

ただ、ここは藪に囲まれて何も見えません。山頂というより蕃山の肩といった感じですね。

 

崖になっているようなところも。

 

所々にいるお地蔵さん。こちらは頭がとれてしまったんですね。

 

木漏れ日が綺麗。

途中、大きな岩を両手足で登る箇所もありました。

 

途中にある住職の墓。

3月の地震で墓石が崩れてしまったようです。

 

下が前回来たときの写真。

お地蔵さんも高い位置にあったんですね。

 

ほどなく左手に、太白山を向くお地蔵さんが現れます。

写真では見えづらいですが、ピラミッド型の山が見えます。

この日、本来は太白山へ行くつもりだったのですが、3月の地震により立ち入りを禁止(2022/10/1時点)しているようで急遽、蕃山へ変更しました。

 

山頂へ到着。遠くに船も見えます。

 

こちらは大梅寺を開山した雲居禅師を祀るお堂常寂光塔

お堂に変わりはありませんが、灯篭が一基倒れてしまっていました。

地震の大きさを思わされますね。

 

堂内には雲居禅師と、盗賊から改心した蕃二、蕃三郎の三体の像があります。

少し戸を開けて覗かせてもらいました。

 

西風蕃山~蛇台蕃山

さて、今回はここからさらに西風(ならえ)蕃山、蛇台(じゃだい)蕃山へと向かいます。

まずは尾根伝いに西風蕃山へ。

木々の隙間から遠く泉ヶ岳が見えます。

 

ユウガギクという花でしょうか。

 

鉄塔。

 

愛子の町並みと、奥にポコポコとした七つ森が見えています。

大観音もいますね。少しだけ。

 

これを見て初めて「ならえ」って読むのだと知りました。

 

くねくねの木。

今度は電波塔が現れます。

好みは分かれると思いますが、山の中に巨大人工物が現れるのって僕は割と好きです。

 

西風蕃山(372m)の山頂。蕃山よりも高いですが、こちらは木に囲まれていました。

最後の蛇台蕃山へ向かいます。

 

また別の電波塔が待ち構えています。

 

西風蕃山から蛇台蕃山へは主に2つのルートがあるようで、北は尾根伝い、南は少し谷へ降りて再び登ります。

僕は尾根伝いに行くつもりだったのですが、南のルートに来てしまっていました。

 

今までの道と比べると鬱蒼としてきます。

このあたりは道がわかりづらくなってくるので、アプリで位置を確認しながら慎重に進みます。

 

斜面を進んで行きます。このあたりは雨の日は滑り落ちそうでした。

 

谷を越えていきます。枯れ沢っぽい感じですね。

 

今度は一転登ることに。ロープがさげられています。

 

土を被った木。なんだかグロテスク。

 

ここを登れば山頂なはず…!

 

来ました蛇台蕃山(366m)

 

錦が丘の町がすぐ目前に見えています。

遠くに採石場、最奥は東岳だと思います。

 

南には萱ヶ崎山(379m)が見えます。

初め蕃山かと思って「あそこから来たのか~」なんて感慨にふけってましたが、見事に違ってましたね。

 

西風蕃山から尾根伝いに行けるようで、木が横並びになっているのが見えました。

 

さて、今度は北側ルートを通って西風蕃山へ戻って行きます。

西風~蛇台間は倒木も多く、他と比べて鬱蒼としています。

 

巨木の亡骸。空洞になっています。

 

小動物とかがいたらいいんですけどね。この中で熊が待っていたら怖いですね。

 

日も傾き始めたので急ぎます。

 

無事登山口へ戻りました。

今回、萱ヶ崎山はパスしましたが、次は行ってみたいですね。

 

300m程度の低山でしたが、山頂をいくつか回れるのが楽しかったです。

縦走というほどのこともないですが笑

 

山歩きに興味を持ち始めたので、ひとまず低山を中心にやっていこうと思います!

近くの権現森に登って来ました。

 

【仙台 史跡めぐり】『葛岡城跡』

もとじろうです。

 

仙台市郷六にある葛岡城跡を見てきました。

JR仙山線葛岡駅から歩いて行くことができます。

 

現況は土塁のみが残る城跡ですが、仙台の防衛において重要な土地であったことが見えてきます。

 

葛岡城跡

この日は登山用品を買いにワークマンへ行こうと思い、前から行ってみたかった葛岡駅から歩いて行くことにしました。

駅前の通りを下っていくと蕃山が現れます。

手前に少しワークマンも見えています。

 

結局何も買わなかったのですが笑、せっかくなので城跡へ寄ります。

仙台村田線を東へ少し歩き、大きな葬儀屋の脇の小道を入ります。

なんとなくいい感じの水路だなと思って撮ったのですが、四ツ谷用水だったよう。

現在、水路はほとんど暗渠になっていますが、このあたりが唯一の開渠になっている部分だそう。

 

用水路のある風景っていいですよね。

 

こちらは沈砂池

すぐ近くの広瀬川から取水してここで砂を落とし、市街方面へ水を運ぶよう。

 

小路を進んで分かれ道を右に行くと田んぼに出ます。

真ん中あたりに小さく標識が見えています。左から回っていきます。

 

土塁の上に標識が立っていました。

なんだか墓標みたいですが、古墳ではなく城跡です。

奥の川岸の方まで土塁が延びています。

 

広瀬川がちらりと見えました。
ちなみに以前訪れた郷六御殿跡はこの対岸の方にあります。

冬になればもう少し見えるのかもしれません。

 

標識によると、

城主は国分能登守盛氏の家臣である馬場筑前入道清説で、広さは東西三十間、南北二十三間

という文献の記録が残っているそう。

ここも国分氏の配下の城だったんですね。

 

ちなみにこの対岸の方にあった郷六館も、国分氏の家臣である郷六氏の居城でした。

川を挟んで両岸に城を置いていたことになります。

ここ、郷六(ごうろく)という土地に対する国分氏の強いこだわりを感じますね。

 

2つの城に国分氏家臣が置かれたのは、伊達家の仙台入りの少し前。

それまで国分氏の居城であった千代城(のちの仙台城)の上流に位置するこの地域は、防衛の面で重要とされたのではないでしょうか。

確かに郷六の東は山に挟まれた谷で、関所のような細い土地になっています。

千代(仙台)への玄関口とも言えそうですね。

 

伊達家では有事の際には、分家のある宮床へ抜けるルートが想定されていましたが、郷六はその通過点でした。

4代綱村は付近に別荘として郷六御殿を建てていますが、そこにも狙いがあったように思えます。

 

史跡を辿ると、昔の人の考えが少しだけ見えてくるようでおもしろいです。

 

駅へ戻ります。

ワークマンの正面辺りに石碑群がありました。

樹木葬の看板のあたり。

 

古峰神社とありますね。

右のものは金華山でしょうか。珍しい字体をしています。

 

こちらが葛岡駅。これが一度見てみたかった。

青い建物が綺麗ですね。

 

地方の田舎駅に来たみたいな趣。

めちゃくちゃに仙台なんですけどね笑。

隣の陸前落合駅との違いがすごいですが、こういったところが仙台の面白さだと思います。

 

僕としても今回は郷六という土地への見方が変わる訪問になりました。

 

上でも述べた郷六城跡、郷六御殿跡についてはこちら

蕃山にも登って来ました。

【登米】亀掛川氏、柴田外記らの居城『米谷城跡』

もとじろうです。

 

登米東和町には、伊達騒動で知られる柴田外記が住んだ米谷(まいや)城跡があります。

近くの不老仙館についてはこちら

 

米谷城跡

不老仙館から見て北西方向にその城跡があります。

県道202号を北へ進んで行くと、石垣が見えてきます。

防衛大臣の看板が目立ってますね…笑

 

説明によると、鎌倉時代である建治二年に、葛西氏の家臣掛川(きけがわ)氏が居城として建てたのが始まり。

時代は下って

葛西氏が滅んだ後は伊達氏の所領となり、寛永時代には、家臣柴田外記の居城となる。

このあたりは政宗の時代です。葛西氏は豊臣秀吉と対峙することとなり、滅ぼされます。

宮城では重要な歴史、奥州仕置というものですが、このとき掛川氏も出陣しているようです。

 

その後、政宗の家臣である柴田外記(しばたげき)が入城、60年ほど過ごしますが伊達騒動(寛文事件)の後、柴田家は船岡(現柴田町)に所替え。

柴田外記はこの事件で、江戸の酒井邸にて討たれてしまっています。

 

その後、高泉兼康がここより西の地区である中田町黒沼から米谷に所替え。

明治三年廃藩置県で国に没収され城、城郭(石垣等)は取り壊されたが、明治七年に旧邑主高泉氏に払い下げられた。現在本丸跡は更地になり、伊達政宗時代に改修された北上川の案場、曲袋のS字型の流れが見られる。又当時の侍詰め所跡には高泉氏の住宅が明治十年ごろに建てられて現在令和に至る。

城主の流れとしては、掛川氏→柴田外記→高泉氏となるようですね。

 

現在は私有地であるので周りの様子を見ていきます。

石垣は奥にも伸びているのですが、こちらは新しいものだと思います。

おそらく当時のものは初めの角の部分だけですね。

 

離れて見た敷地の様子。写真右手に小さく石垣が見えています。

こうして見ると特別高い場所ではない印象ですね。堤防があるせいかもしれませんが。

石垣の辺りから土が盛られて小高くなっているのは確かです。

 

 

城の前には北上川が流れています。

看板の説明にもあったように、このあたりは大きくS字に曲がっていますが、伊達政宗の改修によるものだったんですね。

案場(安場)、曲袋は何のとこかと思ったら地名のようでした。

 

歴代の城主らはこういった眺めを見ていたのかもしれません。

城の背後は、山が続いているので川沿いの小高い丘は城を置くのに適していたのでしょう。

 

ちなみに高泉氏がもといた黒沼館跡が川向うにあります。

現在は諏訪公園として整備されていますが、それを伝える標識が立っているようです。

 

 

城跡前の通り。

長閑な雰囲気があっていいですね。奥のカーブのところに昔ながらのいい感じの商店があります。

 

不老仙館の回でも触れましたが、付近には旧米谷館(不叶館)跡とされる場所もあるようです。

米谷大橋から見たその小山。

今は秈荷神社(ぜんかじんじゃ)が建つ場所です。

神社庁のHPでは、” 亀掛川氏が守護神として居館(米谷館)の地に社殿を建立”としています。

この城については詳細がわかっていないようですが、亀掛川氏が建治二年の当初建てたのはこちらの方で、のちに移ったということでしょうか。

 

今回は時間や天候の関係で行きませんでしたが、いつか訪れてみたいです。

 

近くには伊達騒動で知られる原田甲斐の墓があります。

仙台藩十三代伊達慶邦が宿泊した『不老仙館』についてはこちら

【登米】『伊達騒動』の原田甲斐眠る東陽寺

もとじろうです。

 

登米市東和町(とうわちょう)には、伊達騒動で知られる原田甲斐(はらだかい)の墓があります。

不老仙館から東へ徒歩15分ほど、東陽寺の境内にあります。

 

原田甲斐の墓

こちらがその東陽寺。駐車場は広いです。

原田甲斐伊達家に重臣として使える人物でした。

伊達騒動については長くなるので省略しますが、政宗公の後の時代、伊達家の家臣らの分裂、対立が起こります。

その対立内容について幕府の評定を受けるため、大老酒井忠清邸に家臣らが集まりますが、そこで原田甲斐は対立していた伊達安芸らを斬ってしまいます。

そして原田自身もその場で討たれることに。

 

この事件は江戸での出来事ですが、原田の首が密かに運ばれここに埋葬されたのだとか。

 

寺の歴史が紹介されています。

亀松山東陽寺は原田家の菩提寺として山形で開創。

伊達家が仙台入りすると、原田家は船岡(現柴田町)に置かれ、寺も船岡へ。

その後、寛文事件(伊達騒動により、原田家が断絶すると船岡は柴田氏の領地に。

この地にあった柴田氏の菩提寺大光寺と入れ替わるようにして東陽寺が来たそう。

 

ややこしいですが、山形→船岡(柴田町)→米谷(現在地)という変遷ですね。

 

寛文事件までは近くの米谷城に柴田外記(しばたげき)がいました。

しかし、この柴田外記も酒井邸で討たれてしまいます。

原田甲斐の死体は芝山内の良源院に葬られたが、首だけは密かに船岡の東陽寺に運ばれ、後に東陽寺が米谷に移るとき原田甲斐寄進の梵鐘に首桶を隠して舟で密送、この地に埋葬し銀杏を目印にしたと伝えられる。

寺の裏側にその銀杏が残っています。

 

階段をあがって、

 

こちらが本堂。

 

裏を回っていきます。

 

大きな銀杏が立っています。

高さは50m余りだそう。確かにこの大きさの銀杏はなかなか見ません。

 

根元に墓が立っています。

この供養碑は延宝七年(一六七九)に甲斐の遺徳を偲び、旧家臣等が建立したもので、当時は世をはばかり伏せてあったといわれ、刻まれた人名も後難を避けるため偽名を用いたといわれる。

原田甲斐の墓であることを隠さねばならなかったのですね。

大老家で騒動を起こした責任として、原田家の男子は切腹、お家は断絶しています。

その後も、芝居などで原田甲斐は悪人として描かれることが多かったそう。

 

先の説明で胴体は江戸の良源院に葬られたとありますが、どうやらそちらも正式な墓をつくることは許されなかったようですね。

密かに立てられたかもしれませんが、良源院もすでに廃寺となり、今となってはそれを伝えるものは無さそうです。

 

壮大な銀杏の姿に厳かなものを感じます。

 

原田甲斐とは別ですが、米谷(まいや)の地名の由来がこの場にありました。

お坊さんの石像のあるところが小さな泉になっています。

米渓(べいけい)の泉と呼ぶそうで、なんでもこの地で修行していたお坊さんが、この泉から湧き出た米を食べていたのだとか。

それでもと「前谷」だった地名が「米谷」になったようです。

泉から米が湧き出てくるなんて不思議ですよね。

(上流で誰かが捨てた米の可能性も捨てきれませんが、野暮な考えはやめておきます)

 

泉は蓮池に続いています。

 

さて、原田甲斐に話を戻します。

甲斐の首は、船岡で自身が寄進した梵鐘に隠され、米谷へ運ばれます。

阿武隈川から石巻に海送、北上川を通って運ばれたそう。

しかし、残念ながら梵鐘は戦中、供出されてしまったようです。

 

奥に現在の梵鐘、ならびに鐘楼があります。

 

原田甲斐は長く悪人にされてしまいましたが、周りの人間ほどそうは見ておらず、人望があったようにさえ感じます。

わかりやすいストーリーにするため、悪人に仕立て上げられてしまった部分はあるのかもしれません。

大老邸で刀傷沙汰を起こした以上は、ある程度のお咎めはやむなしですが…。

 

山本周五郎作『樅の木は残った』では忠臣としての原田像を描いているようですね。

NHK大河ドラマにもなっています。

 

登米には他にも騒動に関わりの深い登米伊達家の歴史が残るのでその辺りもいつか見ていきます。

 

近くには伊達騒動で討たれてしまった柴田外記の居城、米谷城跡があります。

伊達騒動で唯一の証人とされた古内志摩の墓(仙台市)についてはこちら

【登米】伊達慶邦の宿泊所『不老仙館』

もとじろうです!

 

宮城の県北、登米市(とめし)東和町(とうわちょう)を回ってきました。

登米市は最近、連続テレビ小説『おかえりモネ』の舞台にもなりましたね。

 

今回訪れた不老仙館(ふろうせんかん)は、建築好きにはぜひおすすめしたいスポットです。

 

 

東和町

仙台からは少し距離があるので高速を使いました。ゆっくり運転で1時間半程度。

登米東和インターチェンジを降りて町へ向かいます。

天気が不安定でしたが、しばらく散策。

 

こちらは北上川。対岸に町が見えていますね。眺めているとなんだか遠い異世界のように思えてきます。中田町(なかだちょう)という地域だそう。

 

いい景色だ。

 

堤防から東和町を見渡した様子。

 

小山が見えてます。いかにも城跡っぽいと思ったらやはりその通りだったようです。

ただ今回はこちらではなく、その隣の米谷城跡の方を見てきました。

 

散策を続けます。

 

県道を北へ進むと石碑群に行きあたりました。遠くから見えていたのですが、少し異様な雰囲気を放っています。

手前にも数基並んでいますね。

 

真ん中の大きいくねった石碑は湯殿山のものでした。

じっくり見たかったのですが、雨風が激しくなり雷も鳴っていたので早々に退散…。

 

他の場所から移しているとは思いますが、治水を祈念したものでしょうか。石碑は山岳信仰庚申信仰など様々ですが、下の段には水神碑もあります。

このあたりは川が大きくS字に曲がっています。これは伊達政宗の改修工事によるものだそうですが、もともと洪水が多かったのでしょう。

 

不老仙館

近くに不老仙館(ふろうせんかん)という古い建物があります。

これは、仙台藩十三代伊達慶邦(だてよしくに)の宿泊所として1852年に建てられたものだそう。慶邦公は戊辰戦争時の藩主として知られていますね。

隣の公民館の駐車場が使えるようで、広さは十分あります。

 

立派な門が構えてあります。大人は200円。

 

くぐると雅(?)な音楽が鳴ってお出迎え。

 

入口の構えもなかなかに豪奢です。さすが伊達家のための建物といった感じ。

 

この不老仙館は、狼河原(おいぬがわら)の豪族畠山家が、伊達十三代慶邦公巡視の際、嘉永五年(一八五二年)宿泊所として建築、その後佐藤家三代新助が明治三十九年買い求め、この地(米谷)に移したもので別荘として使用されてきた。

もとは狼河原(おいぬがわら)という地域にあったものを、明治になってから移設させたとあります。

狼河原はここより少し北で、今は米川と呼ばれる地域を指します。

不老仙館の名の由来は、この「おいぬ」からきているのだとか。

 

こちらは縁側の様子。

 

庭も見ごたえあります。

 

二階建ての部分は大正期に増設されたそう。

 

増設部分の裏手。確かに大正建築らしい趣ですね。

 

その二階からの眺め。

 

渡り廊下があってトイレへ繋がっていく様子。

 

敷地内には茶室もあります。こちらもおそらく奥がトイレでしょう。

この連なっていく感じがいいですね。

 

建物内では様々な調度品や、随所に施された細工を見ることができます。

こういった建築様式で天窓があるのは珍しく、とても印象的でした。

 

また、渋沢栄一土井晩翠の書など、各界の著名人にまつわる品も多く展示されています。

伊達家十三代慶邦氏が北部巡視時の宿泊用に建築したものと伝えられています。
その建物を明治39年、佐藤家三代新助氏が凶作による米谷住民の救済事業として買い受け、3年間の歳月をかけて現在地に移築しました。(登米市HPより)

慶邦公の北部巡視に使用されたのちは、長く佐藤家の別荘になっていたそう。

昭和になって町に寄贈されています。

 

現地に来るまで存在を知りませんでしたが…、たった200円で見学できるのでぜひ訪れてみてください。

 

ところで慶邦公の巡視がどういったものだったのか気になりますが、黒船来航の前年なんですね。

このとき来る時代の大波を予期していたか、していなかったか。想像が膨らみます。