もとじろう旅ブログ

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【仙台 史跡めぐり】『葛岡城跡』

もとじろうです。

 

仙台市郷六にある葛岡城跡を見てきました。

JR仙山線葛岡駅から歩いて行くことができます。

 

現況は土塁のみが残る城跡ですが、仙台の防衛において重要な土地であったことが見えてきます。

 

葛岡城跡

この日は登山用品を買いにワークマンへ行こうと思い、前から行ってみたかった葛岡駅から歩いて行くことにしました。

駅前の通りを下っていくと蕃山が現れます。

手前に少しワークマンも見えています。

 

結局何も買わなかったのですが笑、せっかくなので城跡へ寄ります。

仙台村田線を東へ少し歩き、大きな葬儀屋の脇の小道を入ります。

なんとなくいい感じの水路だなと思って撮ったのですが、四ツ谷用水だったよう。

現在、水路はほとんど暗渠になっていますが、このあたりが唯一の開渠になっている部分だそう。

 

用水路のある風景っていいですよね。

 

こちらは沈砂池

すぐ近くの広瀬川から取水してここで砂を落とし、市街方面へ水を運ぶよう。

 

小路を進んで分かれ道を右に行くと田んぼに出ます。

真ん中あたりに小さく標識が見えています。左から回っていきます。

 

土塁の上に標識が立っていました。

なんだか墓標みたいですが、古墳ではなく城跡です。

奥の川岸の方まで土塁が延びています。

 

広瀬川がちらりと見えました。
ちなみに以前訪れた郷六御殿跡はこの対岸の方にあります。

冬になればもう少し見えるのかもしれません。

 

標識によると、

城主は国分能登守盛氏の家臣である馬場筑前入道清説で、広さは東西三十間、南北二十三間

という文献の記録が残っているそう。

ここも国分氏の配下の城だったんですね。

 

ちなみにこの対岸の方にあった郷六館も、国分氏の家臣である郷六氏の居城でした。

川を挟んで両岸に城を置いていたことになります。

ここ、郷六(ごうろく)という土地に対する国分氏の強いこだわりを感じますね。

 

2つの城に国分氏家臣が置かれたのは、伊達家の仙台入りの少し前。

それまで国分氏の居城であった千代城(のちの仙台城)の上流に位置するこの地域は、防衛の面で重要とされたのではないでしょうか。

確かに郷六の東は山に挟まれた谷で、関所のような細い土地になっています。

千代(仙台)への玄関口とも言えそうですね。

 

伊達家では有事の際には、分家のある宮床へ抜けるルートが想定されていましたが、郷六はその通過点でした。

4代綱村は付近に別荘として郷六御殿を建てていますが、そこにも狙いがあったように思えます。

 

史跡を辿ると、昔の人の考えが少しだけ見えてくるようでおもしろいです。

 

駅へ戻ります。

ワークマンの正面辺りに石碑群がありました。

樹木葬の看板のあたり。

 

古峰神社とありますね。

右のものは金華山でしょうか。珍しい字体をしています。

 

こちらが葛岡駅。これが一度見てみたかった。

青い建物が綺麗ですね。

 

地方の田舎駅に来たみたいな趣。

めちゃくちゃに仙台なんですけどね笑。

隣の陸前落合駅との違いがすごいですが、こういったところが仙台の面白さだと思います。

 

僕としても今回は郷六という土地への見方が変わる訪問になりました。

 

上でも述べた郷六城跡、郷六御殿跡についてはこちら

蕃山にも登って来ました。