こんにちは、もとじろうです。
今回は、根白石めぐり第一弾で紹介しきれなかったものを紹介します。
第一弾はこちら。
新堰
第一弾で紹介した根白石村名起因の石から北へ進むと、やがて大きく左へ曲がるカーブへ差し掛かります。現在、大きな建物が建設中ですが、その脇の小路を抜けると新堰はあります。
現在あるこの堰は後に造られたもの(平成16年)で、元は石積みの堰が200m上流にあったそう。災害の度に修復・補強し、現在の形になったようです。
また、元禄時代に大越喜右衛門により、八沢川の底部に潜穴(くぐりあな・サイフォン)を空け導水したとあります。
上の写真で奥に青い水門が見えていますが、そこから細い水路に分かれます。
ここから農耕地を通って、東北電力の変電所の裏の溜め池(八沢川)へ通じています。
水路は延20数kmにも及び、七北田野山(将監団地)の将監堤まで続いている、泉区最大の水路となっている。(仙台市HPより)
航空写真で見るとわかるのですが、八沢川の溜め池のからさらに東へ用水路が続き、将監堤(将監沼)まで続いているのがわかります。
普段の生活の中では目立たない水路ですが、こうして見るとスケールの大きさに驚きます。
仙台で水路と言うと四ツ谷用水が知られていますが、この泉の水路も相当な工事がいっただろうと想像できます。
ずっと水路を追って行くのも面白いかもしれません。
ここより下流の明神堰についてはこちらの記事で触れています。
周辺の景色。
昔をしのばせる根白石ですが、ここ数年は建て替えをよく目にするので、こういった景色も変わっていくかもしれません。
満興寺
さて、新堰から商店通りを進んで行くと、高長商店の裏手に満興寺(まんこうじ)があります。
こちらが山門。
満興寺山門は、元青葉城の辰ノ口門でありましたが、宝永六年(1709年)伊達家五代藩主吉村公により泉区福岡の永安寺に移築されたと言われています。明治に入り満興寺に移されました。
青葉城の門だったものが、永安寺を経て、ここへ移築されていたんですね。
永安寺は山中に隠れるようにして建つお寺で、伊達家の非常時の隠れ家とされています。
ただ、当時のものは老朽化が激しく、平成25年に新しく建て替えたそうです。来るのが遅かった…!
旧門の解体工事は東日本大震災当日の午前中だったそう。すごい。間一髪ですね。
敷地はアスファルトで固められており、整然としている印象です。
ツルツルの撫狐。寺にあるお稲荷さんは荼枳尼天として祀られます。
撫でるといいことがあるのでしょうか。
ちなみに満興寺の前には歯科医院が建っていますが、以前は村役場があった場所だそうです。今は跡形もないですが。
根白石地域は来るたびに景色が変わってきているので、度々訪れて記録に残したいと思っています。
満興寺山門が一時移築されたという永安寺についてはこちら。