もとじろうです。
北東インドをバックパック旅した際、マラムクーレン村 Maram Khullenを訪れました。
ここはかつて首狩りの風習があった村です。
マニプール州北部と、ナガランド州には数十の民族が暮らしており、民族同士で争い、お互いの首を狩っていたそうです。
今はもちろん、その風習は無くなりましたが、当時の趣を色濃く残す建築物、武器、調度品の数々を見て回ることができます。
僕はそんなナガランドでいくつか村巡りをしたのですが、その始まりがこのマラムクーレン村でした。
前回の記事はこちら
マラムクーレン村、族長の家。レリーフから、かつての首狩りの風習がうかがえる。
村へ向けてインパールを出発
僕はインパールから向かいました。
前日に旅行代理店で行き方を聞いたのですが、「村へ行くバスは無い。コヒマ(ナガランドの州都)行きのバスに乗って途中で降りる。ただ料金はコヒマまでの値段になる」とのこと。確か500ルピー。
ローカルバスで近いところまで行けるから、安いしそっちの方がいいと教えてもらいました。
ですので、インパールから直接、村へ行く手段はありません。
僕はローカルバスを使ったわけですが、お店のおっちゃんが言ったやり方もありだと思います。
ローカルバスの乗り場はここ、Senapati Bus Parking
前夜に確認しに来たとき、バス停らしいものが何も無くて不安でしたが、昼はちゃんとバスが停まっていました。
場所や乗るバスに迷ったら、近くの軍人さんに聞くとわかります。北東インドはここに限らず、軍人さんが一番ちゃんと答えてくれます 笑 僕も初めはデカい銃が怖かったですが、心配しなくて大丈夫です。
ここからSenapati シェナパティという町へ向かいます。
12:30にバスが出発。旅行代理店のおっちゃんの話では、朝6時からバスがあるようです。
結構乗っていますよね。
料金は乗務員が車内で徴収しに来ます。80ルピーでした。
市街地を離れるにつれ、道を土が覆って、砂埃が立ちます。
小さい女の子たちは何をしているのだろう?
やがて田園地帯に入ります。のどかでいいですね。
ちなみにシェナパティまでは、かの2号線を走って行くわけですが、ここも日本兵の遺体が続いていたのでしょうか?
帰りの学生たち。昭和の日本みたいですね。ラオスにも似ているなと感じます。
このあたりの地域はモンゴロイドが主で、日本人に似た顔立ちの人が多いです。
山間の町、山の斜面にも人家が多くあります。
ナガランドのあたりは、このように山腹や山上に町があることが多いです。
バスに揺られるのが心地よすぎて、「こうしてずっと乗っていたいな」なんて考えていた頃、シェナパティに着きました。2時間ちょっと乗っていたと思います。
山道が続いていたので、突然大きな町が現れたことに驚きました。
この町に滞在して、近くを回るのも楽しそうですよね。
ですが、先へ進みます。
シェナパティで車を乗り換え
シェナパティでは、マッカン・クマン Makhan Khuman へ行く車に乗り換えます。
ここにはトゥクトゥクもありますが、おそらくマッカン・クマンへ行くのは乗り合いタクシーだけだと思います。
ジープのような車が並んでいるところが、タクシー乗り場です。
インパールから来た場合の左手、上の写真で言う日陰のあたりです。
そのあたりにいる人に、「マッカン・クマンへ行きたい」と言ってみましょう。
僕自身、行き方は知らなかったのですが、バスに乗り合わせたおじさんが教えてくれました。
客が満杯になるまで待ちます。
この間、「レストラン行ってきていい?」と運転手に聞くと「そんな時間は無いよ」とのことだったので、近くの商店で軽食だけ購入。お釣りは5ルピーだったのですが、「ガムでもいい?」と聞かれ、キシリトールみたいなガムを5粒もらいました。たまにこんなことがあるみたいです。
さて、車に戻ると明らかに定員オーバーになるまで人が乗り込みます。
北東インドで一般的な移動手段として使われる、このスーモ SUMOと言うジープに似た車、見たところは多くて9人乗りだと思うのですが、大抵12人は詰め込みます。
人の膝の上に重なって座る光景も何度も見ました。それはさすがに友人同士がほとんどなので、おっさんが突然乗っかってくるといったことは無いですが。
老若男女ギュウギュウ詰めになりますが、現地の人達はあまり気にならないみたいですね。
北東インドでは、この乗り合いタクシー(シェアタクシーと呼ばれます)に何度もお世話になると思います。
僕も10回以上乗りました。
注意点ですが、乗る前に運転手としっかり料金の確認しましょう。
僕は他の客から聞いて、後から運転手に多く言われることがありました。
また、一人で乗る場合は料金が高くなります。安く乗りたい人は、シェアで乗ることをしっかり伝えましょう。
距離にもよりますが、だいたい50~150ルピーくらいで乗り合いするものです。それ以上は一人乗りの料金であることがほとんどだと思ってください。
このときも例外なくギュウギュウ詰め、僕は一番前の列に座りましたが、1列に4人座るせいで両足の間にシフトレバーがある状態でした。内腿に常にレバーが当たっていたのですが、運転手は何も言わず当然のように操作してました。
起伏のある崖道も走るので、操作ミスしないか心配もありましたが 笑
マッカン・クマン Makhan Khuman 16時頃に到着
ここの広場はマラムバザール Maram Bazar と呼ばれていました。
写真の通り、頭上に旗が張られていました。
トタンに夕暮れのオレンジが当たっていいですよね。
さて、この時間になってしまったので、この日のマラムクーレン行きは諦めました。
ここから宿探しが始まります。
旅行者向け宿を探す
このあたりの地域には、アゴダやブッキングドットコムで予約できるような宿は無く、自力で探す必要がありました。
乗り合いタクシーを降りた周辺で、HOTELと書かれた店を回ってみましたが、宿泊はできないと言われてしまいました。今は食事の提供しかしてないみたいでした。
この他でも、インドではHOTELの看板を掲げていながら、宿泊客の対応はしていない店が多いみたいです。
Google Mapにホテルとして登録されていても、実際には宿泊できないこともよくあります。
シャワーは無くても仕方ない、壁と屋根さえあればいいや、と
RICE HOTELという店に入ります。
ここも宿泊はできませんでしたが、店の奥さんが近所の英語のできる若者を呼んでくれました。どうやって呼ぶかと言うと、窓から大声で叫ぶ、です。
息を切らしてやって来た若者2人は、向かいの山に見える建物を指さして、そこで泊まれるか聞いてみて、と教えてくれました。
せっかくなので、と食事してから向かうことに。
看板が無ければ店なんてわからないようなローカルな場所で、カレーを食べれたのは幸運でした。冷めてましたが。
店の奥さんにも感謝して、歩き出します。
暮れかかる頃、軒先に下がる電球がきらめいてました。
戸も無く並ぶ商店の列がいいですね。
この先、店も無くなり、真っ暗になった道をスマホで照らして歩きます。
車が巻き上げる砂埃をかぶりながら、ちゃんと宿に泊まれるだろうかという不安を抱えながら歩き……。
ここへ辿り着きます。
Patang Hotel
シェナパティから走って来た道、2号線を40~50分ほど歩いて戻ります。
道中、人に尋ねながら向かいの Network Boy's Hostel に来たのですが、ここは学生寮?か何かで、ご主人が Patang Hotel へ連れて行ってくれました。
これは翌朝撮った写真ですが、外観はこんな感じです。
少し坂を上がったところにあるので、2号線からは見えないかもしれません。
めちゃくちゃ吠える犬2匹が出迎えてくれるので、心配な方はやはり向かいのご主人の協力を得た方がいいかもしれません 笑
部屋は2ランクあって僕は安い方を選びました。料金を忘れてしまったのですが、600ルピーくらいだったと思います。向かいのご主人は、僕が安い方を選んだことが意外みたいでした。
壁と屋根さえあればいいと思っていたので、思わぬ部屋に入れて感激でした。
安い方はシャワーとトイレは共同です。お湯もほとんど出ません。
暖房もなく、夜は寒くなります。
向かいのご主人は第二次世界大戦当時、日本兵がここに泊まったのだと説明していました。正直ホントか?と疑ってましたが 笑 どうなんでしょう。
泊まっていたとしても、建て替えはしていると思います。
でも、この地域とインパール作戦が深く関係しているんだな、ということを改めて感じました。
マラムクーレン村へは翌朝行くことにし、向かいのご主人とはお別れ。
夕食はここで食べられます。
まとめ
長くなったので、まとめます。
12:30 インパールSenapati Bus Parkingをローカルバスで出発。
シェナパティで、Makhan Khuman マッカン・クマン 行き乗り合いタクシーに乗る。
マラムバザール Maram Bazar で降りて、Patang Hotelへ歩いて移動。40~50分くらい。
僕はマラムバザールからホテルまで歩いてますが、2号線上にあるので結局、
ホテル前で降ろしてもらった方が早いですね。
運転手に言えば途中で降ろしてもらえると思います。
あらかじめこの地域の地図をダウンロードしておくことを勧めます。
道路からは見えないと思うので、GPSで確認できた方がいいです。
村へ行くのは次回にします!
それでは