もとじろうです。
宮床伊達家の史跡めぐり、続編です。
今回は宮床伊達家の墓所を訪れ、その歴史を見ていきます。
前回の記事はこちら、
宮床伊達家廟所
国道457号線沿い、覚照寺に宮床伊達家の廟所はあります。
墓がいくつかの場所にわかれているので、地図を頼りに見ていきます。
まずは、伊達宗房公夫妻の墓へ。階段を上がって行ったところにあります。
左が宮床伊達家初代、伊達宗房の墓。右が夫人、松の墓。
もとはそれぞれ霊屋が建っていたそうですが、明治初年に壊されてしまったようです。
下が石畳になっていますが、当時のものでしょうか。
初代宗房公は、仙台藩二代伊達忠宗と、側室小笹の子で、政宗の孫にあたります。
わずか4才で田手氏に婿養子として入り、田手姓を名乗ることに。その際は、岩手県口内村(北上市)に移ったよう。
十四才のとき、伊達姓を許され、一門に列せられた。
翌年、在所を宮床村に移し、小野村を合わせて3000石となる。築城、屋敷割、社寺の建立等に力を尽くし、夫人松と共に厚く神仏を崇め宮床のいしずえを築いた。
姓名で 伊達→田手→伊達
住居で 仙台→岩手→宮床
という変遷を辿り、晴れて宮床伊達家初代領主となっています。
宗房の墓より奥にある慶雲院(宗房の母:山戸土佐の娘:小笹、たけ)の墓。
上の年表で初めのところに、「生母菩提のため、慶雲寺建立、後に覚照寺と改める」とあるので、このお墓が覚照寺のもとになったということですね。
方形の礎石が残っています。これは霊屋の跡だそう。
山戸土佐という人物の娘で、94歳まで生きたそう。
写真には撮っていませんが、このさらに奥には法源院、円明院の墓があります。
年表に「延宝三年 生母の両親菩提のため、清心庵を慶雲寺地内に建てる」とあるので、祖父母の墓ですね。もとは庵があったようです。
さて、以降の代々の墓は別の場所にあります。
敷地内は、山城のような道ができています。
屈折して曲がる石垣。
その先にお墓が並んでいました。
いかにも格式高い墓であることが伺えます。こういった形状は大名型と呼ぶそう。
亘理伊達家の宝篋印塔も立派なものでしたが、こちらも風格があります。
笠が苔むしている感じがいいですね。
ズラっと。
反対から振り返った様子。木々に囲まれ、静かに佇んでいます。
亘理のときもそうでしたが、廟所に入ると時が止まったような感じがします。
やはり聖域と言うべきか、厳かな雰囲気が漂っていました。
奥にある子守地蔵。
説明にありますが、初代宗房の長子、伊達吉村が慶雲寺を改め、覚照寺を建立。
また、ここにある廟所を造営したそう。”一種の砦を形作っている”とあるように、屈折した石垣や、土塁が築かれています。
この吉村公ですが、仙台では名君として名高い殿様です。
宮床伊達家の出身ですが、田村家の養子を経て仙台藩主綱村公の養子となり、やがて5代仙台藩主となります。分家から本家へ移って後に藩主、ということですね。
その功績には、破綻状態にあった藩の財政を立て直したことなどがあります。
また、『暴れん坊将軍』で有名な徳川吉宗とも親交が深く、徳川家に吉村公を讃える記録が残っているそう。
宮床ではそのような名君の出身地であることを、誇りに思っているようです。
宮床伊達家の方は次男、村興から続いていくことになります。
道を戻って、寺の反対側へ行きます。
法林院(宗房の正室)の墓。
え、夫人の墓はさっき見たじゃん、と思われるかもしれません。
あえてスルーしましたが、先ほどの夫人、松は継室(後妻)です。
初めに4才で婿養子に入った際の、田手高実の娘が正室ですが、宗房が22才のときに、若くして亡くなっています。
本名、生年の記録も無いようで、どのような人物かわかってないようですが、宗房にとっては幼馴染であり、思い入れが強かったのではないでしょうか。
31才になってから片倉景長の娘、松を迎えています。
(※各年齢は数え年のもの)
話は少し変わりますが、実はこのとき宗房公と松夫人で、伊達家と、片倉小十郎の片倉家が繋がっているんですね。
伊達吉村公と、宮床伊達家2代村興は、伊達家と片倉家の流れを受けています。
寺の敷地内には、『東日本大震災復興記念庭園』が造られていました。
いくつかの墓と仏堂のようなものがありますが、何かはわからず。
最後に宝蔵で知った話を紹介します。
幕末、宮床では8代宗賢公の主導で大砲が造られ、仙台藩に納めていたそう。宮床川からは砂鉄が採れたため、精錬して砲身にしていたようです。
そういった因果か、戊辰戦争時、覚照寺に「額兵隊」という西洋式軍隊が集結していたよう。仙台藩の精鋭部隊だったようですが、実戦の機会なく藩が降伏、覚照寺にて不穏な動きを見せるも、説得されて函館の旧幕府軍のもとへ渡ったとのこと。
もともと砦の様相を見せる覚照寺ですが、大砲などの兵器が揃えば、さながら要塞のようであったかもしれません。
額兵隊の存在自体、初めて知ったので興味深い話でした。
さて、今回の宮床はこんなところです。
城跡などまだ行けていない場所もあるので、また追加していきます。
仙台藩一門第二席、亘理伊達家についてはこちら、