こんにちは、もとじろうです。
今回は富谷市の宿場町、富谷宿ついてです。
富谷市は仙台の北に隣接する町で、近年はベッドタウンとして開発著しくあります。
僕にとっても小さい頃からイオンや、映画館で親しんだ町です。
そんな富谷には、古くから旅客を癒す宿場町がありました。
富谷宿(富谷新町宿)
富谷宿は、奥州街道72番目の宿場町で、元和4年、伊達政宗の命で設置されました。
仙台から北へ上って、七北田宿の次が富谷宿です。
その次の吉岡宿が少し先に造られており、仙台との間にもうひとつ宿場町が必要となって富谷に設置されたそう。
政宗の命を受けた内ケ崎筑後という人物が、宿場町づくりの中心になったそうです。
駐車場所はいくつかあるのですが、僕はしんまち公園に止めさせてもらいました。
西川に架かる橋を渡って宿場町へ。
この通りは「しんまち通り」と呼ぶそう。
今は新しい建物も建っていますが、古くから商店が並ぶ通りであることがわかります。
奥まで行くと立派な建物が。
こちらは内ケ崎家の別邸。
明治時代、内ケ崎作三郎という人物が醤油屋を営み、のちに政治など様々な分野で活躍したそう。
内ケ崎筑後が富谷宿を整備したのち、内ケ崎家は富谷において有力な家柄であったようで、今でも通り沿いには「内ケ崎」の名を冠す商店が多く残っています。
敷地内に立派な庭園があるようですが、一般公開はされていません。
見づらくなっていますが、『対山閣』という建物が中ほどにあるそう。
別邸の隣にある駐車場の奥に、ポツンと建つ門。民家の門のようです。
通りへ戻って進みます。
江戸や明治じゃなくても、昭和の建物にも魅力はあります。軒先の椅子が良い。
こちらは脇本陣跡(気仙屋)。
木造の門が目立っています。
脇本陣は、本陣に次ぐ格式。
本陣というと、戦における陣営を思いがちですが、公家や大名が宿泊する高級宿のことです。
こちらの脇本陣には明治天皇が来ていたそう。どんな建物だったのか気になります。
宿場町らしさが出てきました。東北の諸大名らも、参勤交代の際にこの道を通っています。
道を振り返った様子。
また漆喰の建物が現れました。
旧佐忠商店(冨谷宿)
もとは江戸時代に創業した呉服屋のようですが、旅籠でもあったんですね。店の前に関札(大名らが宿泊した証明)が飾られています。
南部や田村の大名が来ていたよう。
店は今も、地元の特産品などを売る商店として営業しています。
建物は明治時代の建築だそう。
僕は飛騨の生まれなので、こういった建物を見ると昔を思い出しますね。
こちらは、2021年新たにオープンの観光施設『とみやど』。
この日はまだオープン前でした。
中ほどでは内ケ崎作三郎の生家が記念館として公開されているそうなので、また改めて訪れてみたいと思います。
さて、真ん中あたりまで来ました。続きは後半で紹介します。