こんにちは、もとじろうです。
以前ここで紹介した富谷宿に、新しい観光施設『とみやど』がオープンしたので訪れてみました。
富谷宿は、伊達政宗の命によってつくられた、仙台の北の宿場町です。
前回、富谷宿を訪れたときの記事はこちら、
内ケ崎作三郎記念館
宿場町の中心を通るしんまち通り、その中ほどに『とみやど』があります。
立派な入口が構えてありますが、中には飲食店や茶店が並び、幅広い年代の人で賑わっていました。
内ケ崎作三郎記念館は、その一角にあります。
こちらは中庭に立つ胸像。(※庭に出ることはできません)
記念館は内ケ崎作三郎の生家を改築したもので、当時の家の造りが残されています。
中には人物紹介とちょっとした展示がされていて、無料で見学することができます。
前回の記事でも紹介していますが、内ケ崎家というのは政宗公の命によって宿場町を開いた家柄で、富谷における政治経済の中心的役割(肝煎)を担ってきたようです。
ちなみに『とみやど』は、もとは内ケ崎家の醤油屋の敷地だそう。
作三郎さんは大正・昭和期に政治家・宗教家(牧師)として活躍した人物で、21歳のとき吉野作造らと共に洗礼を受けているそう。
「大正デモクラシー」を唱えたことで知られる吉野作造とはその後も活動を共にし、
藩閥政治に対抗する政治家として活躍したようです。
英国留学も経験したこともあり、日本の政治がまだ外に開かれていなかった時代に、新しい風を吹き込んだのではないでしょうか。
多くの論文も残したようですが、『人生学』という著作が館内で販売されていました。
ここでは他に、富谷の名産であるブルーベリーを用いたお土産も売っています。
こちらの『いい茶や』というお茶屋さんが雰囲気もあってとても良かったですね。
もともと富谷はお茶が名産だったそう。
北雲台
富谷小学校の北側に、北雲台(ほくうんだい)という内ケ崎家が代々眠る墓所があります。
初め、場所がわからなかったのですが、小学校の裏手の小高い木が並ぶところに階段が見えると思います。
モミジの紅葉が綺麗でした。秋はこれが目印ですね。
北雲台は、初代内ケ崎織部夫妻をはじめ、歴代の内ケ崎一族の墓所である。
織部は前名を筑後といい黒川氏に仕える家老職だったが、天正十八年(1590)に、主家が除かれたあとは仕官せず帰農した。元和四年(1618)政宗公に召し出されて宿場づくりに励み、のちに検断として郷土の発展に尽くした。
内ケ崎家は、もとは黒川氏の家臣だったんですね。
黒川氏はこのあたり地域を治めていた一族で、今でも富谷の周辺一帯には黒川群の地名が残っています。
今でこそ富谷市になっていますが、富谷ももとは黒川群です。
織部さんはすでに帰農していたところを、政宗公にスカウトされたようなので、黒川氏に仕えていた頃から目を付けられていたのかもしれませんね。
人生の転機どころか、一族の一大転機です。
階段を上がっていくと、『北雲臺』の字が見えます。
北雲台はこの場所を指すのでしょうか。珍しい感じの屋根が建っています。
相撲を取る場所にも見えますが、由来などはよくわかりませんでした。
この傍らに織部夫妻の墓が建っています。
富谷町誌にある織部の記述が紹介されています。
織部は黒川群幕柳村の人物で、主君は黒河安芸守源晴氏(黒川晴氏)。
2代目が稲作に優れたことが書かれていますが、現在に続く酒蔵を開業しています。
脇に立つ巨木は織部杉と呼び、樹齢は300年を越えるそう。
さて、もう少し奥へ進むと作三郎氏の墓も建っていました。
墓石の写真は撮っていないのですが、校庭が見える見晴らしの良い場所です。
教育者でもあった作三郎氏は、今も校庭を駆ける子供たちを見守っているのでしょう。
富谷宿には無料の駐車場がいくつかあります。
とみやどに駐車場はありますが、しんまち公園の駐車場も広くて使いやすいです。