こんにちは、もとじろうです。
今回は八木沢神社と若有家について紹介します。
八木沢神社
古内から県道264号を北へ進み、七北田川を越えた先の交差点を左折、少し進んだところに八木沢神社はあります。
交差点を曲がった先で、左手に杉林が現れるので見当がつくかと思います。
外からは見えませんが、しっかりこの土地を守っています。
道路からはここを入っていきます。
割と車通りが多いので、見つけた瞬間には過ぎてしまいやすいです。
小高い山の上に建っています。この日は木漏れ日が綺麗でした。
車で来た場合は、このあたりまで入ってきます。
社殿。ここだけ木が減って光が差しています。
向八木沢地区の神様で、大正4年に仁渡神社とともに、賀茂神社に合祀されましたが、昭和になってから分離して、現在の場所に鎮座されました。お宮は地区の人々が用材を持ち寄って、建てました。
戦前の一時期、祭日には地区の空地に馬車を二、三台並べて舞台を作り、唄や踊りを楽しみました。(『いずみのふるさと』より)
地域との深い密着が感じられますね。
賀茂神社は、このあたりの地域で由緒ある神社です。
仙台市誌によると、藤原姓国分氏の名が記された棟札が残っていたそう。
ただ、国分盛重らの国分氏とは別だそうですね。
こちらは石碑と祠。真ん中の大きな碑は「松尾観世音」
神社の裏には七北田川が流れており、付近には明神堰という堰が見えます。
写真ではわかりづらいのですが、真ん中あたりの横線が堰です。
この崖下あたりに取水口があったようですが、大正時代に決壊したため、新たに堰と取水口を造ったとのこと。
若有家屋敷跡
八木沢神社の南西、無串橋(むくしばし)にやってきました。
神社の上流に架かります。
この橋の北東側に若有家(わかありけ)の広大な屋敷があったようです。
おそらくこのあたり?
若有家は平泉藤原氏の家臣で、滅亡後この地に土着して完全な農民となり、後に庄屋を務めました。
若有家から分家したものには若生性を名乗らせ、門口にはサイカチの木を植えさせたといわれます。(『いずみのふるさと』より)
平泉藤原氏は、平安時代に東北地方に栄えたことで知られています。
若有家は岩手方面から移って来たことになりますね。
こちらへ来てからは八木沢神社を氏神としていたそうです。
豪壮な屋敷は、柳沢の八木沢屋敷と呼ばれました。
石垣もあったようですが、残念ながら今は残りません。
ちなみに、無串橋の南側には太夫渕があります。
なんでも藤原秀衡の愛馬、太夫黒(太夫五郎)が育ったといわれるそう。
まさかここでも平泉藤原氏との関係があるとは笑。
若有家が住んでいた関係で、そのような言い伝えが生まれたのかもしれませんね。
実際、この渕は馬の洗い場になっていたようです。
写真を撮ったときは知らず、なんとなく「すごい崖があるな」と思って撮っただけでした…。また来ることがあれば追加します。
柳澤寺
無串橋の近くにある柳澤寺(りゅうたくじ)
立派な山門が見られます。
ちょっと逆光になってしまいました…。平成7年築だそう。
仁王像。
本堂。龍の彫刻があります。
こちらは荼枳尼天と天狗を祀っているそう。
県道264号から無串橋へ向かう途中に、石碑が並ぶ一角があります。
このあたりの集落の入り口にあたるので、結界の意味合いでしょうか。
上でも述べた賀茂神社についてはこちら、