もとじろうです。
泉区の中心街からも近いところに、石留神社(いしどめじんじゃ)があります。
ちょっとした伝説があるそうなので行ってきました。
石留神社
行き方を迷ってしまったのですが、住宅街からではなく、堤防から入れます。
マンションやアパートに隠れるようにして建っています。
社殿も狛犬も新しい感じがします。
由緒が書かれていますが、伝説の方から見ていきます。
その昔、志和彦の神が降り、白馬に乗り七北田川を渡ったところ、馬が川底の石につまづき落馬したため、冠を川に流してしまいました。怒った神は家来の神々に命じて、付近の石を両岸に拾い上げさせて、これより下流には石があってはならないと、見張りの神をおきました。この後、下流には石がないと言う。この神が石留明神だという説が伝わっています。
石留明神は、怒った志和彦の神の命令で川に石がないよう、見張っているんですね。
その七北田川は、志和彦の神が降りたことから「神降川(かみふりがわ)」、
冠を流したことから「冠川」とも呼ばれていたそう。
「かみふり」から「かんむり」へ変化したと考えた方が自然な感じはしますね。
由緒
別名は御霊明神(みたまみょうじん)。
武烈天皇の御陵地(お墓)跡であったとの伝承があり、聖地とされてきた。
沼田備前という人物が、川を遡る石を拾い上げ、沼田家に祀ったのが始まり。
ご神体の石は30cmほどの、赤みをおびた礫石だった。
天皇のお墓だったり、川をさかのぼる石があったり、いろいろと凄い神社ですね。
伝説に伝説を塗り重ねています。
後半は近代の変遷が語られています。もとは別の場所にあったようですね。
こちらが目前に流れる七北田川。このあたりは堤防でしっかり整備されています。
昔は伝説の通り、両岸に石がごろごろしていたのかもしれません。
こちらは下流方面。本当だ、石が無い…ことはないです。たくさんあります。
七北田川は氾濫が多かったようですが、昔の人達が治水工事として石を動かす中で、先のような伝説が生まれたのかもしれませんね。
石留明神は、洪水が起きないよう見張ってくれているのではないでしょうか。
ちなみに伝説は、志和彦の神ではなく源頼朝だという言い伝えもあるそう。確かにここより上流の根白石方面には、頼朝にまつわる言い伝えがいくつかあります。
武烈天皇、御霊明神など気になるキーワードも出てきましたが、この神社はいろいろと何かを含んでいるように思います。
もしかすると、赤い礫石も何かを表しているのかもしれません…わかりませんが。
……史跡めぐりを続けます。
付近の高玉神社についてはこちら、