こんにちは、もとじろうです。
雲居禅師(うんごぜんし)による開山の寺めぐり、第2弾です。
雲居禅師は、伊達家の菩提寺である瑞巌寺を再興させたお坊さんです。
大梅寺を終焉の地とし、隣にそびえる蕃山に埋葬されました。
第1弾の永安寺についてはこちら、
大梅寺
宮城インターの西、県道31号線沿いに大梅寺(だいばいじ)はあります。
駐車場がわかりづらいのですが、県道の脇に車を停めるスペースがありました。
『蕃山 大梅禅寺(ばんざん・だいばいぜんじ)』
小高い山の中へ入っていきます。
芭蕉の碑。
他に夏目漱石の『草枕』の碑がありましたが、なんでも『草枕』の中に大梅寺についての言及があるみたいです。草枕……積読状態……。
来ました。大梅寺の代名詞、羅漢仏群がお出迎え。
いい感じに苔むしってます。表情など、一体一体に個性があります。
本堂です。ここにも羅漢仏がたくさん並んでいます。
天然記念物のヒヨクヒバ。樹齢は300年以上だそう。
赤い紅葉が綺麗です。
紅葉、社、旅するお坊さん。
お寺の中ですが、こちらは神社のようですね。
燃えるような赤。
竹と紅葉。
暗くなると灯りが点きます。これもまた風情がありますね。
こういったものがありました。
四代藩主伊達綱村公が建てた郷六御殿の屋根瓦。
郷六(ごうろく)は大梅寺から北東へ1キロほどの土地です。
屋根瓦は紆余曲折をへてこの地域に戻ったことが書かれています。
御殿は今は残らないようですが、近辺には城跡がいくつかあるようなのでいつか訪れてみようと思います。
蕃山へ登る
さて、冒頭にも書いたように雲居禅師は蕃山に埋葬され、今はお堂が建ちます。
こちらはお寺の入り口にあった説明。
蕃山(ばんざん)は、山中に名水を発見した政宗公が、漢詩から引用して「盤山」と付けたそう。
信仰と深く結びついた山のようで、空海が霊場を開こうとして天狗に妨げられ、高野山へ去ったという伝説があるとのこと。
空海が本当に来たかはわかりませんが、古くから神聖な山とされてきたのでしょう。
また、「秋保・里センター」のHPに、冒頭にある蕃二蕃三郎伝説が詳しく紹介されていました。
なんでも雲居禅師を襲った蕃二・蕃三郎という2人の盗賊が、改心して名僧になったそう。
時期から考えると政宗の「盤山」が先になりますが、東北には古くから磐司磐三郎伝説というものがあるそう。
蕃山は低山ですが、途中に崖もあり最低限の装備は必要です。
熊よけの鈴、飲み物を用意して来ましょう。
『蕃山へ 登る口あり 冬の寺』
山の入り口。獣よけの柵を開けて入ります。入ったら閉じます。
まずはひたすら登ります。
ハイキングに訪れる人が多いので、道はしっかりしています。
ある程度進むと、登ったり下ったりを繰り返します。
大梅寺のご住職の墓のよう。
途中、左手にお地蔵さんが立っています。
視線の先にあるのは太白山。先の看板の説明にもありましたが、蕃山と同じく信仰の対象となってきた山です。
ここまで来ると山頂までもう少しです。
到着! ゆっくり来たのもありますが1時間かかりました。
思っていたより長かったです…笑
こちらのお堂が、雲居禅師を祀るものです。常寂光塔と呼ぶそう。
奥に海が見えています。雲居禅師はこの景色を眺めながら座禅を組んだのでしょう。
禅師は諸国の山野を行脚し、全国に173ヶ寺を開山。天皇にも禅を講じ、後に朝廷から大悲円満国師とおくり名された京都妙心寺の高僧である。
偉いお坊さんということがよくわかります。
そんな雲居禅師に、伊達政宗は瑞巌寺の開山(円福寺から瑞巌寺への再興)をお願いするも断られてしまいます。
政宗公が没すると息子の忠宗公が遺言を伝え、27年越しの願いが叶ったようです。
当初、政宗のお願いを断ったというのは既に妙心寺に多くの信者や弟子がいたからではないでしょうか。その人達を置いて東北まで来るというのも確かに簡単な話ではないと思います。
遺言により墓石は立てず、後に四代藩主伊達綱村がお堂を建てたそう。
堂内は雲居禅師の他、蕃二、蕃三郎の像もあるようです。
お堂の裏の石碑。
さて、暗くなる前に山を下ります。
僕は雲居禅師と違って熊が怖いので…笑
永安寺と続けて見てきましたが、知らなかった歴史を知るのはおもしろいです。
まだまだ知らない歴史を探っていこうと思います。
大梅寺はとても和の趣を感じられるスポットでした。
郷六御殿の跡地へようやく訪れることができました。
蕃山から西風蕃山、蛇台蕃山へとハイキングできます。