【岩出山伊達家】江戸時代の学問所『旧有備館』
こんにちは、もとじろうです。
今回は伊達家分家シリーズ第3弾
仙台藩一門第八席岩出山伊達家の、岩出山(いわでやま)を見ていきます。
伊達家との繋がりが深い地で、伊達政宗が仙台城に入る前、本拠を構えていたのが岩出山です。
政宗公が仙台に入るのは、天下分け目の戦い、関ケ原の戦いよりも後で、実はその前の12年間はこの岩出山にいました。
仙台のイメージが強い政宗公ですが、生まれは山形だったり、いろいろ転々としています。
岩出山駅(鉄道資料館)
仙台からだと東北本線で北上し、小牛田で乗り換えて岩出山へ来られます。
赤い屋根の建物は古い駅舎で、今は物産と鉄道資料館になっています。新しい駅はその隣。
鉄道資料館。『ポッポランド』の色合いとフォントが最高ですね。
古い駅名看板もとても良いです。
この資料館は無料で見ることができます。
鉄道が好きな方は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
ちなみに岩出山はかりんとうが名物なのですが、個人的には黒糖のやつが好きです。ここで買うことができます。
地元の高校生たちが駅を利用していました。
岩出山は、戦国期まで「磐手沢(いわてさわ)」と呼ばれていました。室町時代には、現在の大崎市一帯を支配した大崎氏の家臣、氏家氏が岩手沢城(現在の岩出山城址)に代々居城を構えていました。(一部改訂)
文中の地名は少し古いものですね。現在は古川、岩出山を含んだ一帯は大崎市となっており、かつては大崎氏が支配した土地でした。
その大崎氏が滅亡すると、伊達政宗が豊臣秀吉によって生まれ育った米沢(山形)から岩出山に移されます。
その後、政宗が仙台城へ移る段になると、四男の宗泰を置いて、ここに岩出山伊達家が始まります。
さて、これから岩出山の歴史を学びに行きます。
旧有備館
有備館は、岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として建てられ、その後、江戸時代に学問所として開設した建物です。
目の前に有備館駅がありますが、岩出山駅からも歩いて行けます。広い駐車場もあります。
ちなみに、有備館駅には仙台市民にとって懐かしい『伊達政宗公騎馬像』があります。
仙台駅で待ち合わせするとき「政宗像前で~」と言っていた、あの像です。実はここへ引っ越していました。
今は「ステンドグラス前で~」ですね。
はい、有備館へ行きます。
大人は350円で見学できます。
有備館は、御改所(主屋)と附属屋という2棟の建物が連なる造りとなっています。
上の写真は附属屋の出入り口で、藩主が籠の乗り降りをしたそう。
奥の御改所からは庭園の景色を眺めることができます。この主屋には『対影楼(たいえいろう)』の呼称があったそう。
庭園の向こうには、岩出山城址の断崖を見ることができます。
館内にはこの他にも展示コーナーがありました。
外へ出て庭園を歩きます。
こちらは浮島に建つ茶屋。
庭園は池をぐるっと回るように歩くことができます。回遊式池泉庭園というそう。
浮島の松、蓮の葉。
対岸から有備館を見た景色。
この庭園は、岩出山伊達家4代村泰が整備し、仙台藩5代伊達吉村をもてなしたそう。
先ほどの茶屋へ招いたりしたのでしょうか。
もともとは他にも複数の建物があり、隣接する『有備館の森公園』は馬場・的場として使われたようです。
さて、有備館を出て周辺をぶらぶら歩いてみます。
この先の十字路を右に折れ、酒造店の前を通って、川が流れる裏手へ回り込みます。
所どころに段差が造られています。専門用語で落差工というそう。
岩出山城址の断崖が現れます。有備館の庭園は、この断崖を借景として用いています。
有備館の森公園に出ると、川の説明がありました。
この川は「内川」と呼び、世界かんがい施設遺産(初めて聞いた)に登録されているそう。
伊達政宗の指示により掘られたもので、岩出山地域を貫流したのち、大崎耕土へ用水を供給しています。
大崎耕土(おおさきこうど)は、大崎市に広がる田園地帯で、こちらは世界農業遺産に認定されています。
伊達政宗は仙台の『四ツ谷用水』を整備したことでも知られていますが、内川での経験が活かされていたかもしれませんね。
次は町歩きの続きと、岩出山城址へ行きます。