こんにちは、もとじろうです。
インパールを訪れた際、ここだけは寄ろうと決めていた場所がありました。
それが日本兵の慰霊碑です。
第二次世界大戦時に、インパール作戦としてこの地を進み、没した日本兵のための慰霊碑ですね。
行くのは簡単なので、ぜひ訪れてみてください。
前回の記事はこちら
トゥクトゥクで行くのが基本だと思う
僕はトゥクトゥクで行きました。
市街地から片道30分くらいだったかな?
体力に自信のある人なら1日使って、歩いて行って帰ることもできるかもですね。
僕はやりませんが。
道は単純で、市街地から南西に一本道、坂もとくに無い平坦な道です。
国道2号線というんでしょうか。
空港も越えてずっと進んだところで、左手に小高い丘が現れます。
ちなみにこの道路、「白骨街道」という別称があります。当時、行き倒れた日本兵の遺体がずっと続いていたことから、そう呼ぶようになったそうです。
現地の人は"Born Road"と呼んでいました。
僕はこの日、先に Ema Keithel エマ・キーセル という市場を見に行きました。
ただ残念ながらちょうどお休みだったみたいで、売っている人は少なかったです。
この日は市場だけでなく、ほとんどのレストランや商店が一日閉まっていました。
トゥクトゥクの運転手は「今日はマニプルバンだ」としきりに言っていたのですが、よくわかりませんでした。
ナガランドでは、キリスト教地域のために日曜休みが多いですが、この日は月曜だったので、それとも違っていました。
「マニプル」は、インパールのある「マニプール州」のことですね。
市街はどこもシャッターが閉じられています。
みんな路上でクリケットをして遊んでいました。日本で言う野球のように国民的スポーツなんですね。
エマ・キーセル付近の大通り沿いでトゥクトゥクが捕まえられます。
「ジャパニーズメモリアル」で通じたと思います。
往復で500ルピーでした。
トゥクトゥクで2号線をしばらく飛ばしていきます。
道中の景色がすごくいい。
インパール地方は、広がる田園が綺麗です。
日本兵慰霊碑にて
やがて到着
木陰がかなり被ってしまいましたね。
ここへ来ると、自然と厳かな気持ちになります。
「天下泰平 国土安穏 願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆俱成佛道」
ですかね。学が無いのでちょっとわかりません。
「赤丘に 我が明日のために 骨埋む 日本男児に 今日ぞ捧げん」牧野財士
赤丘とは、この慰霊碑の後ろにある丘のことですね。
ここには当時、日本兵の遺体がたくさんあったという話で、そのことを表しているのだろうと思います。
「於インパール作戦 爲散華日本兵建之 一九七七年 師走 十二日 ロトパチン村民一同」
ロトパチン村民一同とあります。
慰霊碑に着くと地元の人が集まっていて、そのうちの一人がいろいろ説明してくれました。
現在はこの近くの村の人達が管理しているみたいです。
実際、放置していたら落ち葉に埋もれていただろうと思います。
今も綺麗にしてくれているのは、感謝ですね。
脇にある火葬場。
日本兵の遺体をたくさん焼いたと言います。
INDIA PEACE MEMORIAL インド平和記念碑が併設されています。
石の配置に何か意味があるのでしょうね。よくわかりませんでしたが。
「さきの大戦においてインド方面で戦没した人々をしのび 平和への思いをこめるとともに 日本インド両国民の友好の象徴としてこの碑を建立する インド平和記念碑 竣工 平成3年3月25日 日本国政府 協力 インド国政府」
この裏手に博物館もあるのですが、例によって「マニプルバン」で閉館していました。残念。
再び、白骨街道を走って戻ります。
ただの一本道。
現在は整備されて車行き交うこの道で、行き倒れになることなどもう無いでしょう。
長い旅の先にこの土地に辿り着いたのは、何か感慨深いものがありました。
戦争を美化したくはありませんが、軍人ということを抜きにして、異国の地で果てた何万の人々の無念を思います。
ホテルで夕食
インパールでレストランがどこも閉まっていても、ホテルのレストランは営業していることが多いです。
暗くて静かな町を歩き回って、ようやく辿り着きました。
僕が食べたのはHotel Massでした。
格式の高いホテルのようで、場違い感すごかったですが 笑
すごい高いかと心配しましたが、大丈夫でした。詳しい値段は忘れました。
インパールでは主に、慰霊碑しか訪れていません。
あとはぶらぶら町歩きしていました。
翌日は、ネットで知ってからどうしても行きたくなった、マラム・クーレン村へ向かいます!