もとじろう旅ブログ

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【会津若松】二重螺旋のお堂『会津さざえ堂』

前回は白虎隊の墓を見てきましたが、飯盛山にはもう一カ所、有名な観光場所があります。

それは「さざえ堂」と呼ばれる螺旋状のお堂で、全国的にも珍しい構造をしています。

 

白虎隊の墓についてはこちら、

 

円通三匝堂(旧正宗寺三匝堂:さざえ堂)

飯盛山の長い階段の途中に、さざえ堂へ繋がる道が分かれています。(写真右手)

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道を進みます。左にあるのは土産物屋。

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初めに現れるのは宇賀神堂

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3代藩主松平正容によって建てられた宇賀弁財天を祀るお堂とのこと。

 

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中には明治期に作られたという白虎隊19士のフランス人形が安置されています。

手前の写真は、飯盛山で自刃した隊士の中で、生き残った飯沼貞吉のもの。

奉納幕には松平家伊達家の家紋がありますね。伊達家との関わりがあるのでしょうか。

 

さて、さざえ堂は隣に見えています。

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見ての通り、貝のさざえの形をした珍しい建築。

修学旅行ではなぜかこっちに寄らなかったので、初めての訪問です。

 

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正面から見た様子。建築物として非常に美しいフォルムだと感じます。

 

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龍の彫刻がウネウネしています。

 

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正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)

1796年の建立で、この地にあった正宗寺の住職、郁堂(いくどう)が考案したのだそう。

(写真の教育委員会の文では実相寺ですが、さざえ堂HPでは正宗寺)

 

お堂内は螺旋状のスロープになっているのですが、入口から頂上まで登り、出口へ降りるまでずっと一方通行で、すれ違うということがありません。

普通、よくある螺旋階段でも、登る人と降りる人がすれ違いますが、そうならないのがこの円通三匝堂。

一体どういう構造!? という感じですが、実際訪れてみると理解できると思います。

忍者屋敷みたいで面白いです。

 

拝観料400円を払って中へ。

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入口に見えているのは郁堂禅師の像。

 

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真ん中の柱。すき間から反対側をのぞき見ることができます。

 

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頂上。右回りに登って来て、今度は左回りに降りていきます。

 

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天井にもびっしり千社札が貼られています。なかなかインパクトある光景ですね。

昔の参拝者らが記念として貼っていったもののよう。(※現在禁止行為)

 

円通三匝堂はもともと西国三十三観音が安置され、この一カ所で三十三観音参りができるというお堂です。

庶民にとっては、会津から遥か西の国々を訪れるのは大変なため、このお堂が建てられたそう。

ただ、この他に会津地方に三十三観音礼所が点在しているそうで、そちらを巡るのも面白いかもしれません。

 

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残念なことに、落書きも多く見られますね…。

昔はお札、現代落書きといった感じなのでしょうか。見栄えはお札の方がいいかな…。

謎のヒロミ率の高さはなんなんだ。

 

下っていきます。

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この穴は何でしょうか。

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梯子はあるけど、人が出るには狭そう。

 

出口。

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こちらは正宗寺開祖残夢大禅師。名前がかっこよすぎる。

 

上で三十三観音巡りのお堂と説明しましたが、今はその観音像はなく、絵が飾られています。

明治になり、正宗寺は廃寺され、神道を信仰しため神仏分離令によって 三十三観音像は取り外されました。 明治23年には堂内の観音像があった場所に白虎隊十九士の霊像が安置されましたが、のちに会津藩の道徳の教科書であった、第八代藩主松平容敬(かたたか)公の編纂された「皇朝二十四孝」の絵額が掲げられ、現在に至っています。

会津さざえ堂HPより)

宇賀神堂の白虎隊士は、もとはさざえ堂に置かれたんですね。

学が無いので絵に描かれている物語はよくわからなかったのですが、一つ一つ見て回るのも面白いと思います。

 

さざえ堂は、なんとなくポケモン金銀マダツボミの塔を思い出すんですよね。

真ん中に柱があって、ぐるぐる回る感じとか…。

 

さて、さざえ堂の近くに白虎隊士が抜け道に使った洞穴があります。

その後は鶴ヶ城にも行きます。