さざえ堂の付近にも、神社など見どころがあります。
白虎隊士十九士の墓を訪れたら、戸ノ口堰洞穴も見ておきたいところです。
厳島神社
さざえ堂のある所から階段を降りて、近くの神社などを見ていきます。
こちらは厳島神社。それほど大きな社殿ではありませんが、古くからある会津の鎮護だそう。
主神は宗像三女神の一、市杵島姫命(神仏習合において弁財天とも)
南北朝時代の永徳年間に、当時の会津領主芦名直盛によって建立。
その後も、伊達、蒲生など歴代領主に会津鎮護として崇拝され、
のちの元禄13年、会津藩主3代松平正容公が御神像と土地を寄進したとあります。
前回見た宇賀神堂も松平正容によるものでしたが、寺社の建立に力を入れた領主だったのですね。
のちの領主が”容”の字を受け継いでいることからも、名君であったことが伺えます。
明治にそれまでの宗像神社を改め、厳島神社と改称。
別の名を弁天堂と言い、飯盛山も辯天山(弁天山)の別名があるそう。
戸ノ口堰洞穴
さて、すぐ隣には戸ノ口堰洞穴があります。
この洞穴、白虎隊士中二番隊が飯盛山中腹へ抜け出るために潜って来た穴だそう。
全長31kmという説明がありますが、それは水路全体のことで、白虎隊士が潜ったのは飯盛山を抜けるための弁天洞穴(約150m)。
戸ノ口原の戦いから敗走し、負傷した体で抜けて来たそう。
ただでさえ、この狭く暗い洞穴を抜けてくることが容易でないのは明らかです。
全身を濡らしながら飯盛山に辿り付いた白虎隊士らが見た城下町の光景は、彼らにとってあまりにむごいものだったろうと想像します。
脇に建つ戸ノ口堰水神社
戸ノ口堰洞穴の水神でしょうか。
こちらは子育地蔵尊のお堂。
市街地方面へ流れて行く水路。
水路は飯盛山正面の階段を貫くように流れて行きます。
階段から見た水路の様子。
この高さに水路を通すのは、容易ではなかっただろうと思います。