【岩ケ崎伊達家】2代で途絶えた分家の町を歩く
こんにちは、もとじろうです。
今回は、伊達家分家シリーズ第4弾、岩ケ崎伊達家についてです。
なんだか岩出山と混同してしまいそうですが、こちらは宮城の県北、栗原市栗駒に置かれた分家で、伊達政宗の五男伊達宗継が初代領主となっています。
分家としてはあまり聞き馴染みがないかもしれませんが、それもそのはず。領主が早世し、わずか2代で断絶してしまっているんですね。
鶴丸城を本拠としていましたが、断絶後は代々家臣が城主を務めたようです。
岩ケ崎町歩き
宮城の北端、岩手県にも近い場所に岩ケ崎はあります。
仙台からは車でも1時間半ほど。車は栗駒駅跡地などに止められます。
ひとまず商店街を町ぶら。
六日町と呼ぶそうです。時計店の外観が良い感じ。
ちょっと逆光になってしまったけど、昔ながらの八百屋さん。
とても商店街らしい町並み。靴屋の軒先テントが良いですね。
脇の小路もいい感じ。
昔ながらの店舗が多いですが、今風な新しいお店も所々に入っていました。
『源氏蛍せんべい』というのが名物のよう。
なんだか懐かしい感じのガチャガチャ。昔は200円でも高かったけどなぁ。
ショッピングセンターのマルコー。もう営業はしていません。
営業時の様子を見てみたかった…。この看板がいい感じですね。
岩ケ崎は地図で見ると一目瞭然ですが、城下町として綺麗に町が区画されているのがわかります。
マルコーの脇にはこんな松の木が立っています。
松尾芭蕉が松に衣を掛け、しばし休憩をした場所だそう。ここから平泉の束稲山(たばしねやま)を眺めたとありますが、標高600m程度の低山のようで本当に見えたかはわかりません。
道順としては、一関(いちのせき)のある北東から岩ケ崎に入って、岩出山へ南下したという感じでしょうか。
岩ケ崎と岩出山は現在、県道17号で繋がっています。
ちなみに北の一関は岩手県ですが、ここも分家が置かれた土地です。
摂取山 円鏡寺
少し移動して円鏡寺にやって来ました。
奥へ進みます。
赤い瓦が特徴的なこちらの山門、かつては岩ケ崎伊達家の居城である鶴丸城の大手門だったそう。
そのことを示すように、屋根の棟には伊達家の家紋が入っています。小さなシャチホコも乗っていますね。
でも鶴丸城跡地から離れているのに、なぜここに? と思ったら、やはり移築されたものだそう。
手前にはしだれ桜が立っています。
こちらは円鏡寺前の通り。茂庭町の名前が残ります。
宮城で茂庭と言えば、伊達三傑のひとり、茂庭綱元(もにわつなもと)を思い浮かべると思います。
片倉小十郎、伊達成実に並ぶ伊達政宗の重臣で、『独眼竜政宗』でもその活躍がよく描かれていました。
実はその茂庭綱元、鶴丸城に岩ケ崎伊達家が置かれる際、初代伊達宗綱がまだ幼少であったために守役として来ていました。
そのため茂庭家の屋敷などが、このあたりに並んでいたそう。
今回は訪れていませんが、北西に位置する洞泉院に綱元の墓があるようですね。
こちらは茂庭町にある洞松院。立派な山門が建っていました。
詳しくはわからなかったのですが、茂庭家と関係があるのでしょうか。
さて、次は2代伊達宗信の墓があるという寺を訪れます。