もとじろうです。
伊達家分家シリーズ第3弾、岩出山伊達家の続編です。
前回は旧有備館について書いています。岩出山へ来たらまずここを訪れてみてください。
岩出山町歩き
今回は有備館から少し離れて、川沿いに歩いて行きます。
岩出山城のお堀であり、用水路でもある内川は、伊達政宗が整備したものです。
有備館裏手の内川を下ってくると、ニノ構橋に出ます。
橋のたもとから見た景色。左に見えているのが内川の主流、中央は民家の用水路ですね。
しばらく真っすぐ川を下っていきます。上の写真とは対岸に来てます。
周辺には料亭があったり、古い建築がところどころに見られます。
十字路も越えて下っていきます。
カーブのある風景がいいですね。
『榮や』という料亭前の用水路。
やがて大きく右へ曲がっていきます。
さらに進みます。
岩出山駅前に出ました。この奥が駅。川はまだ続きますが、ここまでにします。
駅周辺は新しくなっていますが、町には城下町の風情が残っていると感じました。
岩出山城址(政宗公立像)
岩出山城は、伊達政宗が仙台城に入るまでの12年間を過ごした居城で、仙台城に移ると四男の宗泰を岩出山に置き、ここに岩出山伊達家が始まります。
その後は岩出山伊達家が代々居城としていました。
さて、ニノ構橋へ戻って岩出山城址へ向かいます。
岩出山城址の駐車場。ただ、ここから歩くと少しきついので、車は上に停めた方がいいです。
この駐車場は、玉造郡役所と岩出山町役場の跡地でもあるそう。今は何も残りません。
一番高台にある売店。イベント時などに開けるのでしょうか。
別の向きから。左に少し見えているのは野外ステージ。
本丸があった位置が一番高く、その他の各広場は少し低い段になっています。
本丸跡の左手に何やら黒い影が描かれていますが、草木が鬱蒼としていて行くのをやめました。石垣が築かれているようです。
写真は内門跡。左右に石垣が築かれています。ここを進むと、
ででどん。政宗公立像の登場。
白いです。青葉城(仙台城)の黒い騎馬像とはだいぶ印象が違いますね。
昭和39年に岩出山に引っ越してきたそう。仙台のお年寄りで、青葉城に立っていたときのことを覚えている人もいるかもしれませんね。
ちなみに、”戦後空になった台座に”とありますが、実はこの白い像も仙台では2代目。
初代伊達政宗騎馬像は戦中、金属資源として供出されてしまっています。なんとか上部のみ残すことに成功し、現在は胸像として仙台市博物館の敷地に設置されています。
(仙台市博物館の胸像。胴体と馬がありません)
こういった経緯がある中で、平服を着た白い政宗公平和像が造られたことは、とても意味のあることだったろうと思います。作者の柳原義達氏の、平和への願いが込められているのでしょう。
離れると少し寂しい感じがしますね、、、
本丸跡の方へ戻り、脇の階段を下って「こども広場」へ行きます。
平場になっていますが、ここも何か建物があったのでしょうか。
一度戻って、別の階段を降ります。
「さくら広場」ですね。いくつか段々になっているのがわかると思います。
歩道や周りの石段は、公園を整備した際のものだと思いますが、全体的な構造は城跡であることを感じさせます。
所どころに土塁が築かれているのがわかります。
本丸跡にある岩出山城の説明文。
上の方が見にくくなっていますが、
室町初期に大崎氏の家臣、氏家弾正(吉継)が築城し、1591年豊臣秀吉の命をうけた徳川家康が、伊達政宗のために榊原康政に縄張りさせ改築した。(一部改訂)
もとは大崎氏配下の氏家氏の居城でした。その後、家康公が改築する際、短い期間ですが、ここに滞在していたようです。
築城に用いた器具を埋めて、敷地内に八幡平を建立したとありますが、この神社は現在は鍋倉山八幡神社に合祀されたそう。
ちなみに政宗公が岩出山に入城するまでの経緯は、様々な騒動があって面白いのですが、また長くなるので省きます、、、
岩出山城址は現在、城山公園として整備されていますが、当時のままの立体的な構造を感じることができました。
さて、次は岩出山伊達家霊廟へ行きます。