喜多方町歩き続編です。
メイン通りのレトロ横丁商店街を北へ歩いてきたので、今度はおたづき蔵通りを南下します。
おたづきは周辺の地名、小田付が由来で、こちらにも蔵など古い建物が多く残っています。
前編はこちら、
瓜生岩子刀自胸像
初めに、おたづき蔵通りの北端に、瓜生岩子(うりゅういわこ)という人物の像があるというので行ってみました。
北町公園にある佐牟乃神社、
その脇に胸像が建っています。
刀自(とじ)というのは、中年以上の女性に付ける敬称なんですね。無学でした…。
どういうお人なのかと言うと、公園がある北町の生まれで、社会福祉事業に尽力し、日本のナイチンゲールと呼ばれたそう。
特に戊辰戦争では、敵味方関係なく看護をしたとあります。
説明にある内容だけでも、かなり波瀾に満ちた人生を歩まれてますね…。
『八重の桜』には登場していませんが、県のHPを読むと、八重も岩子さんのことは知っていたようです。
瓜生岩子 | 新島八重が貫いた「誇り」 | 八重のふるさと、福島県
次に、おたづき蔵通りの西に構える出雲神社へ寄ります。
ここには自由民権発祥の地碑があります。
なぜ喜多方が?と思った僕はまだまだでした。
戊辰戦争に敗北した会津及び喜多方地域は、明治新政府により政治的な実権が奪われてしまいます。
県会が軽視され、町民は強制労働に駆り出されることもあったそう。
その中で自由民権の思想が強まっていったようです。
なんとも、こういったところにも戦争の影響があるのですね。
瓜生岩子の慈善活動もですが、会津・喜多方という土地はとかく戊辰戦争と、その後の苦難を生きてきた地域なのだなと思わされます。
調べると自由民権の発祥を謳う地域は他にもあるようで、主張はそれぞれにあると思いますが、なぜそういった運動が高まったかという歴史を知るのが大事ですね。
おたづき蔵通り
町歩きを再開します。
出雲神社の正面にある昔ながらの長屋。ガラス戸の感じがすごくいいです。
蔵通りに戻って南下します。
蔵の他にも、木造の古い建築も多くあるので、歩くだけでも楽しめます。
おもむろに一本、裏へ入ってみました。
白漆喰と雪の相性の良さ。
突然、よく見知ったものが目に入り立ち止まります。
お店の中に『仙台四郎』ののれんが…。
仙台四郎は、仙台に実在した人物で、今では福の神として仙台の商店でよくお見かけします。
ここは蔵の街観光センターというところだそうで、お土産や食事処もあるよう。
ただ、別のところで食べると決めていたので先を急ぎます。
喜多方ラーメン『坂内食堂』
場所が飛びますが、こちらの『坂内食堂』で喜多方ラーメンを食べました。
案内所で教えてもらったのですが、テレビで紹介される名店だそう。
こぢんまりしているように見えますが、中に入ると結構広いです。座敷あり。
大盛りそば 900円
あっさりめのスープに、太くてちぢれているのが喜多方ラーメンの特徴ですね。
チャーシューも多いので食べ応えあります。
ソースカツ丼もうまいけど、やっぱりラーメンもうまい。
おみやげ用のラーメンも買えます。
こちらは食堂の駐車場にもなっている隣の御清水稲荷神社。
真っ赤な鳥居が並んでいるのが目を引きます。
社名の由来であるだろう小さな池があります。
レトロ横丁方面へ向かいつつ、周辺をぶらぶら。
細い裏道も面白いのが喜多方。
市役所通り。雪が段々すごいことに。
気になって撮影した建物。もとはここもラーメンを出す食堂だったよう。
ちなみに今回は寄らなかったのですが、若喜商店という土産物屋が向かいにあります。
レトロ横丁に戻ってきました。南側をまだ歩いていなかったのでぶらぶらします。
さて、行ったり来たりしているのですが、ここから大和川酒造北方風土館へ行きます。
ここでは地元のお酒が購入できます。
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