もとじろう旅ブログ

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【亘理伊達家】二代伊達宗実と柴田親子の悲劇

もとじろうです。

 

亘理町の史跡めぐり、続編です。

前編はこちら、主に亘理伊達家の御廟所について書いてます。

 

 

稱名寺

大雄寺の西側、国道6号を越えた先に稱名寺称名寺:しょうみょうじ)があります。

ここでは、亘理伊達家2代伊達宗実(だてむねざね)の歴史を少しだけ見ることができます。

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こちらが本堂。そしてその脇に、

 

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どん。

なんと樹齢700年以上の椎ノ木鎌倉時代でしょうか。すごすぎる。

 

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国の天然記念物に指定されています。

 

さて、その奥にもう一本、大きな木があります。

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こちらはツブラジイ、樹齢300年以上。

根元には五輪塔と石灯篭、供養塔が立っています。

左手の五輪塔は、荘厳院(宏:弘、阿茶の局、果学院)の墓

荘厳院は、伊達政宗の側室で、亘理伊達家2代伊達宗実の母親です。

というのも実は、初代伊達成実は子供が早世してしまっており、伊達宗家から養子が迎えられているんですね。(2代宗実は、政宗の9男)

荘厳院は政宗の側室でしたが、子の宗実と共に亘理に移って来たようです。

ちなみに「阿茶の局」の別名がありますが、家康の側室とは別人ですね。

 

右手の供養塔は、長寿院の墓。こちらは2代宗実の側室だそうです。

 

2代宗実と正室の墓は、亘理伊達家の御廟所にあります。

 

ツブラジイの根元には、他にもお墓が。

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ここでは何とも悲しいエピソードが語られています。

上に説明した2代宗実が、荒浜鳥の海で狩猟の後の宴席を開いていると、3人の酔っ払いが絡んできて、家来の柴田彦兵衛がやむなく1人を切り捨てます。

しかし、その男は実は最上藩(山形)の足軽でした。そこで最上藩主が「彦兵衛を成敗せよ」と詰め寄り、仙台藩からも同様に言われます。

2代宗実は「己を罰せよ」と彦兵衛をかばって聞かず、遂には出奔を決意

すると彦兵衛の父(常弘)は、主君に迷惑はかけられないと、彦兵衛と共に、ここ称名寺にて切腹します。彦兵衛はわずか16才。

これにより主君の出奔は免れたということでしょう。

 

ちなみにですが、柴田常弘は2代宗実の叔父にあたるようです(宗実の母、荘厳院の弟)。つまるところ、彦兵衛は宗実の従兄弟ですね。一連の騒動は宗実にとって堪えがたいものだっただろうと想像します。

 

こういったエピソードを目にするたび、大変な時代だと思わされます。

なぜ切ってしまったんだとも思いますが、足軽が宗実に対して相当な無礼を働いたのでしょう。

宗実は養子でしたが、ここでまた亘理伊達家が途絶える危機に瀕したんですね。

家を存続させるということは、様々な犠牲の上に成り立っているのでしょう。

 

上の写真では、縦に並んだ3基の墓の、奥から常弘(父)、その妻、彦兵衛です。

 

さて、話変わって境内を散策します。

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枯山水。朱色の門が映えていました。

 

そして、庭園の細道を抜けた先にあったのは…

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どん。

いきなり現れたのでびびりました。

まさか、タイで見たような仏塔にここで遭遇するとは笑

 

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仏像が彫られています。

日本でこのような仏塔が建つのは珍しいのではないでしょうか。

少しだけタイ気分が味わえるかもしれません。

 

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こちらは水琴窟。涼やかな音が聞こえます。

 

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蓮池もあります。

 

また、ここ稱名寺には、武石胤盛頼朝公から与えられた仏像があるそう。

胤盛については、前編の方に書いてあります。

 

鳥の海

上に述べた悲劇の発端になった場所、鳥の海です。

汽水湖という湖沼の一種で、海水と淡水が混じっているそう。内陸の海という感じですね。

伊達家が狩猟をしていたということですが、名前の通り、鳥が多く飛来していたのでしょう。

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中ほどに浮島があり、橋が架かっています。

島は公園になっていたようですが、震災の被害を受け、現在は立ち入ることができません。以前は多くの木が植わっていたそうで、全く景色が変わってしまっています。

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橋の中ほどから陸側を向いた写真。

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鳥の海の北側に位置する荒浜は、江戸時代に東回り航路の起点として、米倉が並んだそう。そのうち最上藩のものが、柴田親子事件に繋がったんですね。

 

亘理町の中心街から海へ向かう際、道路の途中に『津波浸水区域』の標識がありましたが、その海からの遠さに驚かされます。

海に近付くほど、更地になった土地が広がり、被害の大きさを感じずにはいられませんでした。

『わたり温泉 鳥の海』で温泉に入りましたが、周りの風景に言葉を失います。

一方で新しい観光施設が造られ、活力を取り戻しつつあるのも事実です。名物のはらこ飯ホッキ飯をぜひ食べに来てください。温泉は海が見える露天があります。

 

今回、亘理町で亘理伊達家の歴史を見てきましたが、

他にも伊達家分家シリーズとして訪れていきたいと思っています。

亘理氏の涌谷伊達家もいつか行ってみます。